アルツハイマー病の研究では,長い間,「なぜ病気になるのか」が問われてきました.

なぜアミロイドβがたまるのか.
なぜタウが広がるのか.
なぜ神経細胞が傷つくのか.
なぜ記憶や生活機能が失われていくのか.

もちろん,これはとても大切な問いです.

でも,もう一つ,とても重要な問いがあります.

それは,なぜ病気にならない人がいるのか,という問いです.

本来であれば発症してもおかしくない遺伝的リスクを持っている.
脳にはアミロイドがたまっている.
それでも,認知症にならない.
あるいは,発症が大きく遅れる.

そのような人を調べることは,アルツハイマー病を理解するうえで非常に重要です.
なぜなら,そこには病気を防ぐ仕組み,あるいは病気の進行を止める仕組みが隠れているかもしれないからです.

今回取り上げたいのは,Jorge J. Llibre-Guerra先生の研究です.

Llibre-Guerra先生の研究には,大きく二つの軸があるように見えます.

一つは,常染色体優性アルツハイマー病,DIADを通じて,発症前から病気を理解し,予防や治療につなげる研究です.
もう一つは,ラテンアメリカを含む多様な集団の中で,認知症の遺伝,社会的要因,医療アクセス,臨床試験参加の問題を考える研究です.

この二つは,別々のようで実はつながっています.

アルツハイマー病は,遺伝子だけで決まる病気ではありません.
また,バイオマーカーだけで完結する病気でもありません.
その人がどのような遺伝的背景を持ち,どのような環境で暮らし,どのような医療や研究にアクセスできるかによって,見えてくる病気の姿は変わります.

その意味で,Llibre-Guerra先生の研究は,アルツハイマー病を「生物学」と「社会」の両方から見ている研究だと思います.

代表的な論文の一つが,2021年にAlzheimer’s & Dementiaに発表された “Dominantly inherited Alzheimer’s disease in Latin America: Genetic heterogeneity and clinical phenotypes” です[1].

この論文は,ラテンアメリカにおける常染色体優性アルツハイマー病,DIADの遺伝的多様性と臨床像を整理したものです.

DIADは,APP,PSEN1,PSEN2という遺伝子の病的変異によって起こるまれなアルツハイマー病です.
全アルツハイマー病の1%未満とされますが,若年発症で,家系内に大きな影響を与えます.
本人だけでなく,子どもやきょうだい,親族が「自分も同じ変異を持っているのではないか」という不安を抱えることになります.

この疾患は,研究上も非常に重要です.
なぜなら,発症年齢がある程度予測しやすく,発症前の段階からアミロイド,タウ,神経変性,認知機能の変化を追跡できるからです.

しかし,DIAD研究は,歴史的に欧米中心に進んできました.
一方で,ラテンアメリカには,コロンビアのPSEN1 E280A家系をはじめとして,重要なDIAD家系が存在しています.
それにもかかわらず,地域全体として,どの国にどの変異があり,どのような臨床像を示し,どのくらいの家族が研究や臨床試験につながれるのかは十分に整理されていませんでした.

この2021年論文では,ラテンアメリカ諸国から報告されたDIADの病的変異を系統的に調べています.
その結果,ラテンアメリカでは24種類のDIAD病的変異が報告されていることが示されました.
統合されたデータセットには,リスクを持つ3583人が含まれていました.
国別では,コロンビアが1905人,プエルトリコが672人,メキシコが463人と,特に多く報告されていました.

この数字は,単なる疫学情報ではありません.

DIADはまれな疾患です.
そのため,一つの国や一つの施設だけでは十分な人数を集めることが難しいです.
だからこそ,国際的なネットワークが必要です.
特に,ラテンアメリカのように遺伝的多様性が高く,医療アクセスや研究基盤に地域差がある場所では,その地域に合った研究体制が必要になります.

この論文の重要性は,ラテンアメリカのDIAD家系を,単に「症例報告の集まり」としてではなく,将来の観察研究や臨床試験につながる集団として整理した点にあります.

これは,DIAN-LatAmのような取り組みにつながります.
DIANは,Dominantly Inherited Alzheimer Networkの略で,常染色体優性アルツハイマー病の家系を対象にした国際研究ネットワークです.
Llibre-Guerra先生は,ラテンアメリカにおけるDIAD家系の研究参加,遺伝カウンセリング,臨床試験へのアクセスを広げる取り組みに深く関わっています.

ここで大切なのは,「遺伝子を見つける」だけでは不十分だということです.

DIADの変異を持つ可能性がある人にとって,遺伝情報は非常に重い意味を持ちます.
自分が発症するかもしれない.
子どもに伝わっているかもしれない.
家族の将来に関わるかもしれない.
その情報を知ることは,医学的にも心理的にも大きな決断です.

だからこそ,遺伝カウンセリングが必要です.
文化的背景に合った説明が必要です.
研究参加へのアクセスが必要です.
そして,臨床試験に参加できる仕組みが必要です.

この点は,2025年に発表されたラテンアメリカのADAD家系に対する遺伝カウンセリング・遺伝学的検査プロトコルの研究にもつながります[2].
この研究では,コロンビアとアルゼンチンのADAD家系を対象に,地域に合わせて調整した遺伝カウンセリングと検査プロトコルを評価しました.
122人が適格で,97人がプロトコルを完了し,87人が遺伝学的状態を知ることを選択しました.
結果として,遺伝学的状態を知った人と知らなかった人,あるいは変異陽性者と変異陰性者の間で,臨床的に意味のある心理的苦痛の差は認められませんでした.

この結果はとても重要です.

遺伝情報は重いものです.
しかし,適切に設計された遺伝カウンセリングと支援があれば,家族がその情報と向き合い,研究や臨床試験につながることができる可能性があります.
これは,単なる医学研究ではなく,家族と地域に根ざした研究です.

そして,Llibre-Guerra先生の最近の最も印象的な論文が,2025年にNature Medicineに発表された “Longitudinal analysis of a dominantly inherited Alzheimer disease mutation carrier protected from dementia” です[3].

この論文は,一人の非常に特別なDIAD変異保因者を詳しく調べた研究です[3].
対象者は,PSEN2 p.Asn141Ile変異を持っていました.
この変異は,常染色体優性アルツハイマー病を引き起こすことが知られています.
同じ家系では,多くの人が50歳前後で認知機能低下を発症していました.

ところが,この方は75歳になっても認知機能を保っていました.
家系内の予測発症年齢を大きく超えても,認知症になっていなかったのです.
WashUの報道では,この方は“DIAN escapee”と表現されています.

この研究の問いは,非常にシンプルです.

なぜ,この人は発症しなかったのか.

この問いに答えるために,研究チームは,遺伝情報,脳画像,脳脊髄液,血漿,プロテオミクス,神経心理検査などを組み合わせて,この症例を縦断的に解析しました.

結果として,この症例ではアミロイド病理は強く存在していました.
つまり,病気の最初の段階であるアミロイド蓄積は,確かに起きていたのです.
しかし,通常のDIADの進行とは異なり,タウ病理は広がっていませんでした.

特に重要なのは,タウ病理が主に後頭葉に限局しており,典型的なアルツハイマー病で認知症症状に関連しやすい内側側頭葉などには広がっていなかった点です.
通常,アルツハイマー病では,アミロイド蓄積の後にタウが広がり,それが神経変性や認知機能低下と強く関係します.
しかし,この症例では,アミロイドはあるのに,タウの広がりが抑えられていたように見えます.

これは,非常に重要な示唆です.

アルツハイマー病では,アミロイドが重要です.
しかし,臨床症状により近いのはタウです.
もし,アミロイドがあってもタウの広がりを抑えられるなら,認知症の発症を遅らせる,あるいは防ぐことができるかもしれません.

この症例は,まさにその可能性を示しています.

さらに,この研究では,保護的に働いた可能性のある遺伝的要因や環境要因も検討されています.
既に知られているAPOE3 ChristchurchやRELN-COLBOSのような保護的変異とは異なり,この症例では別の機序が関わっている可能性が示されました.

特に興味深いのが,heat shock proteinsです.
この方は,長年,船舶のエンジンルームで高温環境にさらされる仕事をしていました.
研究では,脳脊髄液プロテオームにheat shock proteinsが多いという特徴が見られました.
heat shock proteinsは,ストレスで傷ついたタンパク質の折りたたみや修復に関わる分子です.
そのため,タウのミスフォールディングや凝集を抑えるような防御機構に関係している可能性があります.

もちろん,これはまだ仮説です.
高温環境への曝露が本当に保護的に働いたのか,heat shock proteinsが実際にタウの広がりを防いだのかは,この一例だけでは証明できません.

それでも,この研究はとても重要です.

なぜなら,アルツハイマー病を「発症する理由」だけでなく,「発症しない理由」から考えることができるからです.

これまで,アルツハイマー病研究では,リスク因子を探す研究が多く行われてきました.
APOE ε4.
高血圧.
糖尿病.
難聴.
うつ.
運動不足.
社会的孤立.

これらは重要です.

でも,それと同じくらい,保護因子を探すことも大切です.
なぜなら,病気に抵抗する仕組みを見つけることは,治療や予防につながる可能性があるからです.

この2025年Nature Medicine論文では,アミロイドが高度にあるにもかかわらず,タウが広がらず,認知機能が保たれた症例が示されました[3].
つまり,アルツハイマー病の進行において,アミロイドからタウ,そして認知症へと進む流れのどこかを止められる可能性がある,ということです.

この視点は,DIAN研究とも深くつながります.

DIANでは,遺伝性アルツハイマー病の家系を長期的に追跡し,発症前からアミロイド,タウ,神経変性,認知機能を評価しています.
その中で,通常の進行をたどる人だけでなく,予想より発症が遅い人,あるいは発症しない人を見つけることができます.

そうした例外的な人たちは,研究にとって非常に貴重です.

なぜなら,その人たちは,病気の進行を止める仕組みを自然に持っているかもしれないからです.
その仕組みを理解できれば,それを薬や介入として再現できる可能性があります.

この発想は,APOE3 Christchurchの症例やRELN-COLBOSの症例ともつながります[4,5].
これらの症例でも,強い遺伝性アルツハイマー病の背景があるにもかかわらず,発症が大きく遅れていました.
それぞれの症例で保護機序は異なるかもしれません.
しかし,共通しているのは,タウ病理の広がりや神経変性が抑えられている可能性です.

Llibre-Guerra先生の2025年論文は,この「resilience研究」の流れの中に位置づけられます[3].

ただし,この研究を読むときには注意も必要です.

第一に,これは一例の詳細な解析です.
一例研究は,強い仮説を生み出すことはできますが,因果関係を証明するものではありません.
heat shock proteinsが本当に保護的に働いたのか,環境要因がどの程度影響したのか,遺伝的背景がどう関係したのかは,今後の検証が必要です.

第二に,この症例は非常にまれです.
すべてのDIAD変異保因者に同じ仕組みが当てはまるわけではありません.
また,孤発性アルツハイマー病にそのまま適用できるとも限りません.

第三に,アミロイドがあっても認知症にならないという現象は,単純に「アミロイドは重要ではない」という意味ではありません.
むしろ,アミロイドがあっても,その後にタウがどのように広がるか,神経変性がどのように進むかが非常に重要だということを示しています.

この点は,現在の治療開発にも関係します.

抗アミロイド抗体薬は,アルツハイマー病治療に新しい道を開きました.
しかし,アミロイドを減らすだけで十分なのか,どの時期に治療すべきなのか,タウの広がりをどう抑えるのか,神経変性をどう防ぐのかという課題は残っています.

もし,この“DIAN escapee”のように,アミロイドがあってもタウの広がりを抑えられる仕組みが分かれば,新しい治療標的につながるかもしれません.

ここで,Llibre-Guerra先生のもう一つの研究軸である,社会的要因や健康格差の研究も重要になります.

2024年のAlzheimer’s & Dementia論文では,ラテンアメリカにおいて,認知症有病率や認知機能に対して,global genetic ancestryよりもsocial determinants of health,つまり教育,社会経済状況,地域環境などの社会的要因が重要である可能性が示されました[6].
この研究では,遺伝的祖先割合だけでは認知症や認知機能を十分に説明できず,社会的要因を調整すると遺伝的祖先との関連は消失しました[6].

これは,認知症研究にとって非常に大切です.

遺伝子は重要です.
バイオマーカーも重要です.
しかし,人は遺伝子だけで生きているわけではありません.
教育,貧困,医療アクセス,栄養,職業,ストレス,差別,地域環境,文化,研究参加の機会が,脳の健康に影響します.

特にラテンアメリカのように,遺伝的多様性も社会的多様性も大きい地域では,「遺伝的祖先」と「社会的条件」を切り分けて考える必要があります.
見かけ上の人種差や祖先差が,実際には社会的要因や医療アクセスの差を反映していることがあるからです.

この視点は,DIAD研究にもつながります.

DIAD家系を見つけるだけでは不十分です.
その家族が遺伝カウンセリングを受けられるか.
検査を受けるかどうかを自分で決められるか.
研究や臨床試験に参加できるか.
言語や文化に合った説明を受けられるか.
心理的支援を受けられるか.

これらが整っていなければ,精密医療は一部の人にしか届きません.

Llibre-Guerra先生の研究の特色は,ここにあると思います.

アルツハイマー病を,分子だけで見ない.
遺伝子だけで見ない.
社会だけで見ない.
そのすべてをつなげて見る.

DIADの遺伝学を調べる.
発症前のバイオマーカーを調べる.
例外的に発症しない人のレジリエンスを調べる.
ラテンアメリカの家系を研究ネットワークにつなげる.
社会的要因や医療アクセスの問題を考える.
遺伝カウンセリングと臨床試験参加の仕組みを整える.

このように,Llibre-Guerra先生の研究は,アルツハイマー病を「実験室の病気」としてだけでなく,「家族と地域の中で起こる病気」として見ているように思います.

これは,これからの認知症研究にとってとても重要です.

アルツハイマー病研究は,急速に進んでいます.
血液バイオマーカーが登場し,抗アミロイド抗体薬が使われ始め,発症前介入や予防試験も現実味を帯びています.

でも,その進歩が一部の国,一部の施設,一部の人だけに届くのであれば,認知症医療の格差は広がってしまいます.

だからこそ,多様な地域,多様な家族,多様な遺伝的背景,多様な社会的背景を含めた研究が必要です.
Llibre-Guerra先生の研究は,その方向に進んでいると思います.

特に,2025年のDIAN escapee論文は,アルツハイマー病研究に大きな問いを投げかけています[3].

アミロイドがあっても,なぜこの人は認知症にならなかったのか.
なぜタウは広がらなかったのか.
どの遺伝的要因が関係しているのか.
どの環境要因が関係しているのか.
heat shock proteinsは本当に保護的なのか.
この仕組みを,治療として再現できるのか.

これは,一人の特別な症例の話であると同時に,アルツハイマー病全体の未来につながる問いです.

アルツハイマー病を防ぐには,リスクを減らすだけでなく,レジリエンスを高めることも必要かもしれません.
病気を進める経路を止めるだけでなく,病気に抵抗する経路を強めることも考えられるかもしれません.

そのような発想は,これからの治療や予防に新しい道を開く可能性があります.

アルツハイマー病を,発症する理由から見る.
そして,発症しない理由からも見る.

遺伝子を見る.
バイオマーカーを見る.
タウの広がりを見る.
家族を見る.
地域を見る.
社会的要因を見る.

Jorge J. Llibre-Guerra先生の研究は,そのような広い視点を持った研究だと思います.

認知症研究は,分子の研究であると同時に,人と社会の研究でもあります.
その両方をつなげることが,これからのアルツハイマー病研究にとってますます重要になるのかもしれません.

参考文献

[1] Llibre-Guerra JJ, Li Y, Allegri RF, Mendez PC, Surace EI, Llibre-Rodriguez JJ, et al. Dominantly inherited Alzheimer’s disease in Latin America: Genetic heterogeneity and clinical phenotypes. Alzheimer’s & Dementia. 2021;17(4):653-664. doi:10.1002/alz.12227. PMID: 33226734.

[2] Bagnati PM, Londoño Castaño M, Fernández ML, Mora Henao B, Chrem P, Aguillón D, et al. Impact of genetic counseling and testing in individuals at high risk of familial Alzheimer's disease from Latin America: a non-randomized controlled trial. Alzheimer’s & Dementia: Diagnosis, Assessment & Disease Monitoring. 2025;17(2):e70102. doi:10.1002/dad2.70102. PMID: 40201594.

[3] Llibre-Guerra JJ, Fernandez MV, Joseph-Mathurin N, Bian S, Carter K, Li Y, et al. Longitudinal analysis of a dominantly inherited Alzheimer disease mutation carrier protected from dementia. Nature Medicine. 2025;31(4):1267-1275. doi:10.1038/s41591-025-03494-0. PMID: 39930140; PMCID: PMC12024232.

[4] Arboleda-Velasquez JF, Lopera F, O’Hare M, Delgado-Tirado S, Marino C, Chmielewska N, et al. Resistance to autosomal dominant Alzheimer’s disease in an APOE3 Christchurch homozygote: a case report. Nature Medicine. 2019;25(11):1680-1683. doi:10.1038/s41591-019-0611-3. PMID: 31686034.

[5] Lopera F, Marino C, Chandrahas AS, O’Hare M, Villalba-Moreno ND, Aguillon D, et al. Resilience to autosomal dominant Alzheimer’s disease in a Reelin-COLBOS heterozygous man. Nature Medicine. 2023;29(5):1243-1252. doi:10.1038/s41591-023-02318-3. PMID: 37198481.

[6] Llibre-Guerra JJ, Jiang M, Acosta I, Sosa AL, Acosta D, Jimenez-Velasquez IZ, et al. Social determinants of health but not global genetic ancestry predict dementia prevalence in Latin America. Alzheimer’s & Dementia. 2024. doi:10.1002/alz.14041. PMID: 38837526.