アルツハイマー病というと,どうしても「脳の病気」という印象が強いと思います.
実際,アルツハイマー病では,脳の中にアミロイドβがたまり,タウが広がり,神経細胞が傷ついていきます.
そのため,研究も治療も,長い間「脳の中で何が起きているのか」に注目してきました.
でも最近,少し違う視点が出てきています.
それは,アルツハイマー病を脳だけでなく,全身の病気として見る という視点です.
今回紹介する研究は,まさにそのような考え方を示すものです.
テーマは,APOE3 Christchurch という非常に珍しいAPOE変異と,肝臓です[1].
APOEは,アルツハイマー病研究ではとても重要な遺伝子です.
特にAPOE ε4は,孤発性アルツハイマー病の最も強い遺伝的リスク因子として知られています[2].
一方で,APOE ε2はリスクを下げる方向に働くと考えられており,APOEの違いは,アルツハイマー病のなりやすさや病態の進み方に大きく関係します.
その中で,近年とても注目されているのが,APOE3 Christchurchです.
この変異が注目されるきっかけになったのは,コロンビアの常染色体優性アルツハイマー病の家系で見つかった,ひとりの女性でした[3].
その方は,PSEN1 E280Aという,若年発症型アルツハイマー病を引き起こす変異を持っていました.
本来であれば,中年期に軽度認知障害や認知症を発症することが予想されていました.
ところが,その方は70歳代まで明らかな認知機能障害を示しませんでした[3].
詳しく調べると,その方はAPOE3 Christchurch変異を2コピー持っていました.
さらに興味深いことに,脳には高度のアミロイド蓄積があったにもかかわらず,タウ病理や神経変性は比較的限られていました.
この症例は,とても強いインパクトを持っていました.
なぜなら,アルツハイマー病では「アミロイドがたまること」が重要だと考えられてきた一方で,この方では,アミロイドが高度に蓄積していても,認知症の発症が大きく遅れていたからです.
つまり,APOE3 Christchurchは,アミロイドが存在していても,その後に続くタウ病理や神経障害を抑える可能性があるのではないか,と考えられました.
その後の研究では,APOE3 Christchurchを1コピーだけ持つ人でも,認知機能障害の発症が遅れる可能性が示されました[4].
このことから,APOE3 Christchurchは,「非常に珍しいひとりの症例」だけでなく,アルツハイマー病の進行を変える重要な手がかりとして注目されるようになりました.
では,この保護的なAPOEを,治療に応用できるのでしょうか.
ここで今回の研究が登場します.
今回の研究では,APOE4を発現するAPP/PS1マウスに対して,AAVを用いてAPOE3 Christchurch,または通常のAPOE3を肝臓に導入しました[1].
ポイントは,脳ではなく肝臓に導入したことです.
これはとても面白い発想です.
APOEは脳でも作られますが,末梢では肝臓が重要な産生源です[2,5].
脳内のAPOEは主にアストロサイトやミクログリアから作られ,末梢のAPOEは主に肝臓などから作られます[2,5].
一般に,脳内APOEと末梢APOEは,完全に同じものとして扱えるわけではありません.
血液脳関門があるため,脳と血液の環境はある程度分かれています.
それでも,末梢のAPOEが血管,炎症,脂質代謝,アミロイドβの処理などを通じて,脳の病態に影響しうることが分かってきています[5].
今回の研究の問いは,とてもシンプルに言うと,こうです.
脳にAPOE4があっても,肝臓で保護的なAPOE3 Christchurchを作らせれば,アルツハイマー病の病理を軽くできるのか.
結果として,肝臓でAPOE3 Christchurchを発現させたマウスでは,脳内のアミロイドβ負荷が低下しました[1].
さらに,神経炎症,神経変性,認知機能障害も軽減されました.
この結果だけでも十分に興味深いのですが,さらに重要なのは,その仕組みです.
研究では,APOE3 Christchurchを肝臓で発現させることで,単に脳の中のアミロイド産生が下がったというよりも,末梢でアミロイドβを処理する能力が高まった 可能性が示されています.
具体的には,肝細胞や単球がアミロイドβを取り込む能力が高まり,脳から出てきたアミロイドβが末梢で処理されやすくなったと考えられています.
ここが,この研究の一番面白いところだと思います.
アルツハイマー病の治療というと,脳の中に薬を届けることを考えがちです.
しかし,脳には血液脳関門があり,薬を十分に届けることは簡単ではありません.
また,遺伝子治療で脳全体を安全に標的にすることも,まだ大きな課題です.
一方で,肝臓は遺伝子導入の標的として比較的扱いやすい臓器です.
今回の研究は,脳の病気に対して,必ずしも脳だけを直接標的にしなくてもよい可能性を示しています[1].
もちろん,これはまだマウスの研究です.
すぐに人に使える治療という話ではありません.
AAVを使った遺伝子導入には,安全性,投与量,免疫反応,長期的な発現,肝臓への影響など,多くの課題があります.
また,APP/PS1マウスのアミロイド病理が,人のアルツハイマー病全体を完全に再現しているわけでもありません.
それでも,この研究は大切な方向性を示しています.
それは,アルツハイマー病を「脳の中だけで完結する病気」と考えないことです.
脳で生じたアミロイドβは,脳の中だけで処理されるわけではありません.
血管,血液,免疫細胞,肝臓,脂質代謝など,全身の仕組みとつながっています.
APOEは,まさにその接点にある分子です[2,5].
APOE4は,脳内ではアミロイドβの蓄積,タウ病理,神経炎症,血液脳関門の障害などに関係すると考えられています[2].
一方で,末梢のAPOE4も,脳血管機能やアミロイド病理,認知機能に影響しうることがマウス研究で示されています[5].
つまり,APOEの影響は,脳内だけでなく,末梢にも広がっている可能性があります.
今回の研究は,その逆向きの可能性を示したとも言えます.
つまり,末梢で保護的なAPOEを作ることで,脳の病理を軽くできるかもしれない,ということです[1].
これは,とても発想を広げてくれる研究だと思います.
これまでのアルツハイマー病治療では,アミロイドを脳内から取り除く,タウを抑える,神経炎症を抑える,というように,脳の中の病理を直接標的にする考え方が中心でした.
しかし今回の結果は,脳の外側から脳の病理を変える という治療戦略の可能性を示しています[1].
この内容はAlzforumの記事にまとめられていて,タイトルは,
“Can Good ApoE in the Liver Offset Bad ApoE in the Brain?”
つまり,「肝臓の良いApoEは,脳の悪いApoEを打ち消せるのか」という問いでした.
https://www.alzforum.org/news/research-news/can-good-apoe-liver-offset-bad-apoe-brain
この問いは,とても分かりやすく,かつ本質的だと思います.
APOE4は,アルツハイマー病のリスクを上げる方向に働きます[2].
一方で,APOE3 Christchurchは,アルツハイマー病に対して保護的に働く可能性がある変異として注目されています[3,4].
では,脳の中にリスクとなるAPOE4がある状況で,肝臓から保護的なAPOE3 Christchurchを供給すれば,病気の進行を変えられるのか.
今回の研究は,この問いにマウスモデルで挑戦したものです[1].
現時点での答えは,まだ「人でそう言える」ところまでは来ていません.
でも,少なくともマウスでは,肝臓でAPOE3 Christchurchを発現させることで,APOE4に関連するアルツハイマー病様病理が軽減する可能性が示されました.
この研究を読むと,アルツハイマー病の見方が少し変わります.
脳だけを見るのではなく,
血液を見る.
肝臓を見る.
免疫細胞を見る.
脂質代謝を見る.
そして,それらが脳とどうつながっているのかを見る.
アルツハイマー病は,脳の中で起きる病気です.
でも,脳だけで完結している病気ではないのかもしれません.
APOE3 Christchurchというまれな変異は,そのことを教えてくれる重要な手がかりです.
そして今回の研究は,その手がかりを「治療の方向性」に近づけようとした研究だと思います.
注意すべき点もあります.
第一に,APOE3 Christchurchは非常にまれな変異です.
人での保護効果は,主にPSEN1 E280Aを持つ特定の家系や,その関連研究から示されてきました[3,4].
そのため,その効果がすべてのアルツハイマー病に同じように当てはまるかは,まだ分かりません.
第二に,今回の研究はマウスモデルでの結果です[1].
マウスで脳内アミロイドβが減ったことは重要ですが,人で同じように安全かつ有効に働くかは,まったく別の問題です.
第三に,アルツハイマー病はアミロイドだけの病気ではありません.
タウ,神経炎症,血管障害,シナプス障害,脂質代謝,ミトコンドリア機能など,さまざまな要素が関係します[2].
APOE3 Christchurchが,これらのどの段階にどの程度影響するのかは,さらに詳しく調べる必要があります.
それでも,今回の研究は,APOEを標的にした治療を考えるうえで重要です.
APOE4を持つ人に対して,APOE4の悪い作用をどう抑えるか.
APOE2やAPOE3 Christchurchのような保護的な作用をどうまねるか.
脳内APOEを変えるのか,末梢APOEを変えるのか.
あるいは,脂質代謝や免疫細胞の働きを通じて,間接的に病態を変えるのか.
こうした問いが,これからますます重要になっていくと思います.
今回の研究は,「肝臓でAPOE3 Christchurchを発現させれば,アルツハイマー病が治る」と言っているわけではありません.
むしろ,もっと慎重に読むべき研究です.
でも,この研究が示した発想はとても大きいと思います.
脳の病気を,脳だけで考えない.
アミロイドを,脳内だけで処理しようとしない.
APOEを,脳内のリスク因子としてだけでなく,全身の代謝や免疫とつながる分子として見る.
このような視点は,これからのアルツハイマー病研究にとって大切になるかもしれません.
まだ人への応用には距離があります.
けれど,肝臓から脳のアミロイド病理を変えるという発想は,アルツハイマー病治療の可能性を少し広げてくれます.
アルツハイマー病は,脳の病気です.
でも,脳だけの病気ではないのかもしれません.
そのことを,APOE3 Christchurchと肝臓の研究は教えてくれているように思います.
参考文献
[1] Tang JY, Tan Q, Yu ZY, Yuan ZY, Zeng R, Liu XY, et al. Hepatic expression of APOE3 Christchurch mitigates APOE4-related Alzheimer’s disease pathologies in mice. Neuron. 2026 May 6. doi:10.1016/j.neuron.2026.04.027. PMID: 42097136.
[2] Serrano-Pozo A, Das S, Hyman BT. APOE and Alzheimer’s disease: advances in genetics, pathophysiology, and therapeutic approaches. Lancet Neurol. 2021;20(1):68-80. doi:10.1016/S1474-4422(20)30412-9. PMID: 33340485.
[3] Arboleda-Velasquez JF, Lopera F, O’Hare M, Delgado-Tirado S, Marino C, Chmielewska N, et al. Resistance to autosomal dominant Alzheimer’s disease in an APOE3 Christchurch homozygote: a case report. Nat Med. 2019;25(11):1680-1683. doi:10.1038/s41591-019-0611-3. PMID: 31686034.
[4] Quiroz YT, Aguillon D, Aguirre-Acevedo DC, et al. APOE3 Christchurch heterozygosity and autosomal dominant Alzheimer’s disease. N Engl J Med. 2024;390(23):2156-2164. doi:10.1056/NEJMoa2308583. PMID: 38899694.
[5] Liu CC, Zhao J, Fu Y, Inoue Y, Ren Y, Chen Y, et al. Peripheral apoE4 enhances Alzheimer’s pathology and impairs cognition by compromising cerebrovascular function. Nat Neurosci. 2022;25(8):1020-1033. doi:10.1038/s41593-022-01127-0. PMID: 35915180.