アルツハイマー病というと,もの忘れが目立つようになってから気づく病気,という印象が強いかもしれません.
たとえば,同じ話を何度もしてしまう.
予定を忘れてしまう.
財布や鍵をどこに置いたか分からなくなる.
家族が「最近少し変だな」と感じる.
こうした変化が出てきて,初めて「認知症かもしれない」と考えることが多いと思います.
でも,アルツハイマー病の研究では,かなり前から分かってきたことがあります.
それは,症状が出たときに病気が始まるわけではない,ということです.
記憶の問題として見えるよりもずっと前から,脳の中ではアミロイド,タウ,神経変性,脳萎縮,代謝低下といった変化が少しずつ進んでいます[1,2].
今回紹介する論文は,その「症状が出る前のアルツハイマー病」を,15年以上にわたって追い続けてきた研究です[1].
この論文で取り上げられているのは,DIAN Obs という国際的な観察研究です.
DIANは,Dominantly Inherited Alzheimer Networkの略で,常染色体優性アルツハイマー病,つまりADADの家系を対象にした研究ネットワークです[1].
ADADは,アルツハイマー病全体から見るとまれなタイプです.
原因となるのは,APP,PSEN1,PSEN2という遺伝子の変異です[1,2].
これらの変異を持つ人では,比較的若い年齢でアルツハイマー病を発症することがあり,家系の中で発症年齢がある程度予測しやすいという特徴があります.
この「発症年齢がある程度予測しやすい」という点が,研究ではとても重要です.
通常の孤発性アルツハイマー病では,その人がいつ発症するかを正確に予測することは難しいです.
そのため,「発症の20年前に何が起きていたのか」を調べるには,長い時間と非常に大きな集団が必要になります.
一方でADADでは,家系ごとの発症年齢や原因変異の情報をもとに,その人が発症すると予測される時期をある程度推定できます[1,2].
DIANでは,この推定発症年齢を基準にして,症状が出る何年前にどのバイオマーカーが変化するのかを調べています[1].
この方法があるからこそ,DIANでは,単に「認知症の人」と「認知症ではない人」を比べるだけではなく,
発症20年前,
発症15年前,
発症10年前,
発症5年前,
発症後,
というように,アルツハイマー病の進行を時間の流れとして見ることができます.
この研究の大きな特徴は,ひとつの検査だけを見ていないことです.
認知機能検査だけではありません.
MRIだけでもありません.
PETだけでもありません.
脳脊髄液だけでもありません.
血液だけでもありません.
DIAN Obsでは,遺伝子変異を持つ人と,変異を持たない同じ家系の人の両方を対象に,臨床評価,認知機能検査,神経学的診察,MRI,アミロイドPET,タウPET,脳脊髄液,血液検体などを長期的に集めています[1].
これは,とても貴重なデザインです.
同じ家系の中で,変異を持つ人と持たない人を比較できるため,年齢や生活背景だけでは説明しにくい,病気そのものに関連する変化を見つけやすくなります.
また,同じ人を時間をかけて追うことで,「ある時点の違い」だけではなく,「変化のスピード」や「変化の順番」を見ることができます.
そして,DIANから見えてきたことは,とても重要です.
まず,アミロイドの変化がかなり早い段階から始まります.
過去のDIAN研究では,脳脊髄液Aβ42の低下やアミロイドPETでのアミロイド蓄積が,推定発症年齢の約20年以上前から認められることが示されています[2].
その後,脳脊髄液中の総タウやリン酸化タウの上昇,脳萎縮,脳代謝の低下,認知機能低下が,段階的に現れてくると考えられています.
つまり,アルツハイマー病は,ある日突然始まる病気ではありません.
まず,アミロイドの変化が起こる.
次に,タウや神経障害の変化が起こる.
その後,脳の構造や代謝の変化が目立つようになる.
そして最後に,認知機能の低下として見えてくる.
もちろん,これは非常に単純化した説明です.
実際の病態はもっと複雑ですし,人によっても違います.
それでも,DIANのような縦断研究があることで,アルツハイマー病を「症状が出た時点」からではなく,「症状が出る前から続く過程」として理解できるようになります[1,2].
この視点は,今のアルツハイマー病診療を考えるうえでも重要です.
近年,抗アミロイド抗体薬が登場し,アルツハイマー病を「診断して終わり」ではなく,「病態に介入する」時代に入りつつあります.
そうなると,ますます重要になるのが,いつ治療を始めるべきか という問いです.
症状がかなり進んでから治療しても,すでに神経細胞の障害が進んでいる可能性があります.
一方で,症状が出る前からアミロイドやタウの変化を捉えられるのであれば,より早い段階で介入できる可能性があります.
DIAN Obsは,このような予防試験や早期介入試験の基盤にもなっています[1].
観察研究として自然経過を明らかにするだけでなく,治療試験を設計するための重要な情報源にもなっています.
この論文で印象的なのは,DIANが単なる「一つの研究」ではなく,世界中の研究者が利用できるリソースとして機能している点です.
DIAN Obsは15年以上の追跡を行い,APP,PSEN1,PSEN2変異を持つ家系から多くの参加者を登録し,臨床,認知,画像,体液バイオマーカーを組み合わせた縦断評価を行ってきました.
研究対象はまれな家族性アルツハイマー病ですが,その意味はADADだけにとどまりません.
ADADと孤発性アルツハイマー病は,原因は異なります.
ADADではAPP,PSEN1,PSEN2といった遺伝子変異が大きな役割を果たします[1,2].
一方で,多くの高齢発症のアルツハイマー病は,複数の遺伝的要因,年齢,生活習慣,血管リスク,環境要因などが重なって起こります.
それでも,アミロイドやタウを中心とした病態には共通点があります.
そのため,ADADで明らかになった「病気の時間軸」は,孤発性アルツハイマー病を考えるうえでも大きな手がかりになります.
ただし,注意点もあります.
ADADはアルツハイマー病全体の一部であり,すべての結果をそのまま一般的な高齢発症のアルツハイマー病に当てはめることはできません[2].
また,遺伝子変異を持つことを知る可能性がある研究であるため,参加者や家族にとって心理的・倫理的な配慮も非常に重要です.
さらに,長期縦断研究では,参加者の継続的な協力,検査方法の標準化,国際的なデータ共有,バイオマーカー測定技術の変化への対応など,多くの課題があります[1].
それでも,DIANの価値はとても大きいと思います.
なぜなら,この研究は,アルツハイマー病を「認知症になってから見つける病気」ではなく,
「症状が出る前から,脳の中で少しずつ進んでいく病気」として見せてくれるからです.
私たちは,もの忘れが出てから病気を考えがちです.
でも,その時点では,すでに長い時間の変化が積み重なっているのかもしれません.
アミロイドが変わり,
タウが変わり,
神経細胞が傷つき,
脳の代謝が変わり,
脳の構造が変わり,
その結果として,認知機能の低下が見えてくる.
その流れを知ることは,単に研究として面白いだけではありません.
診断のタイミング,治療のタイミング,臨床試験の設計,そして将来的な予防戦略に直結します.
この論文を読んで改めて感じるのは,アルツハイマー病研究において,「早く見つける」という言葉の意味が変わってきているということです.
以前は,症状が軽いうちに診断することが「早期診断」だったかもしれません.
でも今は,症状が出る前から病態を捉え,その人がどの段階にいるのかを考える時代に入りつつあります.
もちろん,症状がない人にどこまで検査を行うべきか,誰に治療を行うべきか,治療の利益とリスクをどう考えるか,という問題は簡単ではありません.
バイオマーカーが陽性であることと,その人がいつ,どのように発症するかは同じではありません.
だからこそ,長期的なデータが必要です.
DIANは,そのための土台を作ってきた研究だと思います.
病気を一時点で切り取るのではなく,時間の流れの中で見る.
症状だけでなく,脳画像,体液バイオマーカー,遺伝情報,認知機能を合わせて見る.
そして,病気が始まる前の段階から,何が起きているのかを丁寧に追っていく.
このような研究が積み重なることで,アルツハイマー病は少しずつ「診断された後に対応する病気」から,「発症前から理解し,介入を考える病気」へと変わっていくのかもしれません.
DIANの15年は,アルツハイマー病の未来を考えるうえで,とても大きな意味を持つ15年だと思います.
参考文献
[1] Daniels AJ, McDade E, Llibre-Guerra JJ, et al. 15 years of longitudinal genetic, clinical, cognitive, imaging, and biochemical measures in DIAN. npj Dementia. 2026;2:13. doi:10.1038/s44400-025-00047-7. PMID: 41709913.
[2] Bateman RJ, Xiong C, Benzinger TLS, et al. Clinical and biomarker changes in dominantly inherited Alzheimer’s disease. N Engl J Med. 2012;367(9):795-804. doi:10.1056/NEJMoa1202753. PMID: 22784036.