Nature論文から考える,感染症・免疫・脳の意外なつながり
アルツハイマー病や認知症の予防というと,多くの人はまず生活習慣を思い浮かべるかもしれません.
運動すること.
血圧や糖尿病を管理すること.
よく眠ること.
人とつながること.
耳や目の健康を守ること.
もちろん,これらはとても大切です.
しかし最近,少し意外な方向から,認知症予防の可能性が注目されています.
それが,帯状疱疹ワクチンです.
帯状疱疹は,水ぼうそうの原因でもある水痘帯状疱疹ウイルスが,体の中で再活性化することで起こります.強い痛みを伴うことがあり,高齢者では生活の質を大きく下げることがあります.
では,この帯状疱疹を防ぐワクチンが,認知症の発症にも関係するのでしょうか.
2025年に Nature に掲載された論文 “A natural experiment on the effect of herpes zoster vaccination on dementia” は,この問いに対して,非常に興味深い結果を示しました[1].この研究は,ウェールズの公的ワクチン政策を利用して,帯状疱疹ワクチンと認知症診断の関係を調べたものです.
なぜこの研究が注目されたのか
ワクチンと認知症の関係を調べる研究は,これまでもありました.
しかし,多くの観察研究には大きな問題があります.
それは,ワクチンを受ける人は,もともと健康意識が高い可能性があるということです.
たとえば,ワクチンを受ける人は,定期的に医療機関に通っているかもしれません.生活習慣に気をつけているかもしれません.社会経済的に余裕があるかもしれません.そうすると,認知症リスクが低く見えても,それが本当にワクチンの効果なのか,もともとの背景の違いなのか分かりにくくなります.
今回のNature論文が面白いのは,この問題をかなりうまく避けている点です.
ウェールズでは,2013年に帯状疱疹ワクチンの接種制度が始まりました.このとき,接種対象かどうかが生年月日で決まりました.具体的には,1933年9月2日以降に生まれた人は接種対象になり,それ以前に生まれた人は対象外になりました[1].
つまり,たった数日違いで生まれた人たちの間に,ワクチンを受けられるかどうかの大きな差が生まれたのです.
これは,いわば自然に生じた「実験」のような状況です.
生年月日が数日違うだけなら,健康意識,教育歴,生活習慣,医療アクセスなどが大きく違うとは考えにくいです.その一方で,ワクチンを受ける確率だけは大きく変わります.
この仕組みを利用することで,研究者たちは,通常の観察研究よりも交絡の影響を受けにくい形で,帯状疱疹ワクチンと認知症の関係を調べることができました.
どんな結果だったのか
結果は,かなりインパクトがあります.
生年月日の基準日の直前に生まれた人では,帯状疱疹ワクチンを受けた割合は 0.01% でした.一方,基準日の直後に生まれた人では,接種率は 47.2% まで上がりました[1].
そして,7年間の追跡で,帯状疱疹ワクチンを受けた人では,新たに認知症と診断される確率が 3.5パーセントポイント 低下しました.これは相対的には 20.0%の低下 に相当します.
つまり,この研究では,帯状疱疹ワクチンが,認知症の発症を防ぐ,あるいは少なくとも遅らせる可能性が示されました.
さらに,この効果は男性よりも女性で強い傾向がありました.
性差がなぜ出たのかはまだ分かっていませんが,ワクチンへの免疫応答は男女で異なることがあり,今後の重要な研究テーマです.
これは「アルツハイマー病の薬」ではない
ここで注意したいのは,この研究は「帯状疱疹ワクチンがアルツハイマー病を治す」と示したものではない,という点です.
研究で見ているのは,主に電子カルテ上の新しい認知症診断です.認知症には,アルツハイマー病,血管性認知症,レビー小体型認知症,混合型認知症などが含まれます.高齢者では,複数の病理が重なっていることも珍しくありません.
したがって,この論文から言えるのは,
帯状疱疹ワクチンが認知症全体の診断リスクを下げた可能性がある
ということです.
アルツハイマー病だけに限定して,どの程度効果があるのかは,まだ慎重に考える必要があります.
それでも,アルツハイマー病研究にとってこの論文が重要なのは,脳の病気を,アミロイドやタウだけでなく,感染症や免疫の視点から考える必要があることを示しているからです.
なぜワクチンで認知症リスクが下がるのか
では,なぜ帯状疱疹ワクチンが認知症リスクを下げる可能性があるのでしょうか.
主に2つの仮説があります.
一つ目は,水痘帯状疱疹ウイルスの再活性化を防ぐことで,脳や神経への炎症負荷を減らすという考え方です.帯状疱疹の原因ウイルスは神経に潜伏し,免疫が弱くなると再活性化します.もしこの再活性化が,神経炎症や血管障害を通じて認知症リスクに関わるなら,ワクチンで再活性化を防ぐことが認知症リスク低下につながるかもしれません.
二つ目は,ワクチンがウイルスとは別に,免疫システムを広く調整する可能性です.Nature論文でも,水痘帯状疱疹ウイルスの再活性化を減らす機序と,ウイルスとは独立した免疫調節作用の両方が考えられると述べられています.
ただし,どちらが主な仕組みなのか,あるいは両方が関わるのかは,まだ分かっていません.
現在使われているワクチンではどうなのか
今回のNature論文で中心になっているのは,Zostavax という生ワクチンです.ただし,Zostavaxは現在,多くの国で使われなくなり,より新しい組換えワクチンである Shingrix に置き換わっています.
では,Shingrixでも同じような効果があるのでしょうか.
2024年に Nature Medicine に掲載された研究では,組換え帯状疱疹ワクチンを受けた人は,従来の生ワクチンを受けた人よりも,その後6年間の認知症リスクが低いことが報告されました[2].この研究では,組換えワクチンを受けた人で,認知症診断なしで過ごす時間が 17%増加し,認知症を発症した人の中では平均 164日長く認知症診断なしで過ごしたとされています.
これは,帯状疱疹ワクチンと認知症リスク低下の関連が,古いワクチンだけでなく,現在使われているタイプのワクチンにも及ぶ可能性を示しています.
ただし,この研究は観察研究であり,因果関係を証明したものではありません.
最終的には,大規模なランダム化比較試験で確認する必要があります.
どう受け止めるべきか
このテーマは,noteではとても読まれやすいと思います.
ただし,煽りすぎると危険です.
「帯状疱疹ワクチンで認知症が予防できる」と断言するのは早いです.
この研究は非常に強いデザインですが,ランダム化比較試験ではありません.また,認知症診断は電子カルテや死亡診断書に基づいており,診断の遅れや見逃しの可能性もあります.
一方で,この論文を軽く見る必要もありません.
生年月日に基づく自然実験という非常にユニークな条件を利用し,通常の観察研究よりもバイアスを減らした形で,帯状疱疹ワクチンと認知症リスク低下の関係を示した点は大きな意義があります.
何より,帯状疱疹ワクチンはもともと帯状疱疹を防ぐためのワクチンです.
その本来の目的だけでも,高齢者にとって重要です.もし将来的に,認知症リスク低下という追加の利益が確認されれば,公衆衛生上の意味は非常に大きくなります.
まとめ
2025年のNature論文は,ウェールズの帯状疱疹ワクチン政策を利用した自然実験から,帯状疱疹ワクチンが7年間の新規認知症診断を約20%減らす可能性を示しました.
この研究が面白いのは,アルツハイマー病や認知症を,脳の中だけで起こる病気としてではなく,感染症,免疫,炎症,ワクチンという広い視点から考えさせてくれるところです.
もちろん,まだ分からないことは多くあります.
本当に因果関係なのか.
アルツハイマー病にどの程度関係するのか.
女性で効果が強く見えた理由は何か.
現在主流のShingrixでも同じ効果があるのか.
どの年齢で,どの人に,どの程度の予防効果があるのか.
それでも,この研究は認知症予防の発想を広げるものです.
認知症を防ぐためにできることは,薬や脳トレだけではないのかもしれません.
感染症を防ぐこと,免疫を整えること,ワクチンを適切に受けることも,長い目で見れば脳の健康と関係している可能性があります.
アルツハイマー病研究は,アミロイドやタウだけではなく,免疫と感染症の視点からも新しい段階に入っているのだと思います.
参考文献
1.Eyting M, Xie M, Michalik F, Heß S, Chung S, Geldsetzer P. A natural experiment on the effect of herpes zoster vaccination on dementia. Nature. 2025;641:438-446. doi:10.1038/s41586-025-08800-x. PMID: 40175543.
ウェールズの帯状疱疹ワクチン接種制度を自然実験として利用し,生ワクチン接種が7年間の新規認知症診断を3.5パーセントポイント,相対的に20.0%低下させた可能性を示した研究です.
2.Taquet M, Dercon Q, Todd JA, Harrison PJ. The recombinant shingles vaccine is associated with lower risk of dementia. Nature Medicine. 2024;30:2777-2781. doi:10.1038/s41591-024-03201-5.
組換え帯状疱疹ワクチンが,従来の生ワクチンと比較して,6年間の認知症診断リスク低下と関連することを示した研究です.