アルツハイマー病の研究は,とても大きく変わっています.

以前は,認知症の症状が出てから診断することが中心でした.
もの忘れが目立つ.
日常生活に支障が出る.
家族が変化に気づく.
そこで初めて,認知症かもしれないと考えることが多かったと思います.

でも今は,症状が出る前から,脳の中で起きている変化を捉えられるようになってきました.

アミロイドPET.
MRIでの海馬体積.
APOE遺伝子型.
血液中のAβ42/Aβ40.
そして,p-tau217やp-tau181のような血液バイオマーカー.

こうした技術によって,認知機能が正常な人でも,将来アルツハイマー病による認知症を発症するリスクを,ある程度推定できる時代になりつつあります.

しかし,ここで大きな問いが生まれます.

そのリスクを,本人にどう伝えるべきなのでしょうか.

知りたい人には伝えるべきなのか.
知りたくない人には伝えないべきなのか.
どのくらい正確に伝えられるのか.
高リスクと言われた人は,その情報をどう受け止めるのか.
家族や将来設計にどのような影響があるのか.
そして,リスクを伝えることは,本当に本人の利益になるのか.

今回取り上げたいのは,Sarah M. Hartz先生の研究です.

Hartz先生の研究を一言で表すなら,アルツハイマー病のリスクを,統計的に推定し,倫理的に,分かりやすく,臨床的に意味のある形で伝える研究だと思います.

Hartz先生は,精神医学,統計学,遺伝学を背景に持つ研究者です.
もともとは精神疾患や物質使用の遺伝学にも大きく貢献されていますが,近年のKnight Alzheimer Disease Research Centerでの研究では,アルツハイマー病のリスク推定,研究結果返却,バイオマーカー情報の伝え方,疾患修飾薬の臨床的意味づけが中心になっています.

この研究領域は,とても現代的です.

なぜなら,アルツハイマー病の血液バイオマーカーや抗アミロイド抗体薬が進んだことで,「リスクを知ること」が急に現実的な問題になってきたからです.

リスクを測れるようになることと,それを伝えてよいことは同じではありません.
医学的に測定できることと,本人が知りたいことも同じではありません.
また,統計的にリスクが高いことと,その人が必ず発症することも同じではありません.

だからこそ,リスクを計算する方法と,それを伝える方法の両方が必要になります.

Hartz先生の代表的な論文として,まず挙げたいのが,2023年にAlzheimer’s & Dementiaに掲載された “A flexible modeling approach for biomarker-based computation of absolute risk of Alzheimer’s disease dementia” です[1].

この研究では,認知機能が正常な高齢者を対象に,5年以内にアルツハイマー病による認知症を発症する絶対リスクを推定するモデルが開発されました.

ここで重要なのは,「相対リスク」ではなく「絶対リスク」を伝えようとしている点です.

たとえば,「リスクが2倍です」と言われても,それがどのくらい大きな意味を持つのかは分かりにくいです.
もともとのリスクが1%なら2倍で2%です.
もともとのリスクが20%なら2倍で40%です.
同じ「2倍」でも,受け止め方はまったく違います.

一方で,「今後5年間で発症するリスクは6%です」と言われると,少し具体的になります.
つまり,94%は5年以内に発症しない,という見方もできます.

Hartz先生らのモデルは,このような5年絶対リスクを計算するためのものです.

この研究では,まず年齢,性別,人種,教育歴,家族歴といった人口統計学的情報を使って,ベースラインの5年リスクを推定しました.
さらに,APOE遺伝子型,アミロイドPET,MRI海馬体積,血漿Aβ42/Aβ40などのバイオマーカー情報を加えたときに,リスク推定がどのように変わるかを計算できるようにしました.

モデルは,1万人以上の認知機能正常高齢者の縦断データを用いて構築されました.
人口統計学的モデルの5年AD dementia予測AUCは0.79でした.
さらに,アミロイドPETとMRI海馬体積を加えたモデルではAUCが0.84,血漿Aβ42/Aβ40を加えたモデルではAUCが0.82でした.

この数字は,バイオマーカーを加えることで予測精度が改善することを示しています.

ただし,この研究の意義は,単にAUCが上がったことではありません.
もっと大切なのは,個人に説明できる形でリスクを計算しようとしたことです.

アルツハイマー病研究では,アミロイド陽性,APOE ε4陽性,海馬萎縮あり,というように,結果をカテゴリーで伝えることがあります.
でも,それだけでは本人が知りたいことに十分答えられないことがあります.

「アミロイド陽性です」と言われた人が本当に知りたいのは,
「では,自分はいつ認知症になるのか」
「どのくらい危ないのか」
「家族に何を伝えればよいのか」
「何か準備すべきなのか」
ということかもしれません.

もちろん,医学はその問いに完全には答えられません.
しかし,絶対リスクとして伝えることで,少なくとも「どのくらいの可能性か」を少し具体的に示すことができます.

この研究では,アルツハイマー病リスクを伝えるための計算機,risk calculatorの基盤が作られました.
しかも,このモデルは新しいバイオマーカーが登場したときに更新しやすい,柔軟な構造を持つように設計されています.

これはとても重要です.

アルツハイマー病のバイオマーカーは,今後も変わっていきます.
血漿p-tau217,p-tau181,p-tau231,MTBR-tau,GFAP,NfLなど,さまざまなマーカーが臨床応用に近づいています.
今あるモデルが,数年後には古くなる可能性があります.
だからこそ,新しいデータを取り込める柔軟なリスク推定の枠組みが必要です.

ただし,リスクを計算できることと,それを本人に伝えることは別の問題です.

この点を扱ったのが,2021年のJournal of Alzheimer’s Disease論文 “Communicating 5-Year Risk of Alzheimer’s Disease Dementia” です[2].

この研究では,認知機能が正常な高齢研究参加者に,5年以内のAD dementiaリスクをどう伝えるかについて,説明資料と結果レポートを開発・評価しました.

研究参加者は,自分の研究結果を知りたい理由として,自分の健康を理解したい,興味がある,家族に知らせたい,将来の計画を立てたい,という理由を挙げていました.
一方で,リスクを知ることへの不安や限界もありました.

ここで重要なのは,リスクを伝えるときに,単に数字を出せばよいわけではないということです.

「あなたの5年リスクは何%です」と言われても,その数字の意味が分からなければ,かえって不安になるかもしれません.
また,リスクが高いと感じるか低いと感じるかは,その人の経験や家族歴,性格,人生設計によっても変わります.

そのため,Hartz先生らの研究では,視覚的な資料を使って,ベースラインリスクと,APOEやアミロイドPET,MRI結果を加えた後のリスクを分かりやすく示す工夫が行われました.

ここには,Hartz先生の研究の特色がよく出ています.

統計モデルを作るだけではない.
それを人に伝えるための資料を作る.
その資料が分かりやすいか,受け入れられるかを調べる.
そして,実際にリスク情報を返す研究につなげる.

つまり,数理モデルからリスクコミュニケーションまでを一つの流れとして考えています.

この流れは,2025年のJAMA Network Open論文 “Research Participant Interest in Learning Results of Biomarker Tests for Alzheimer Disease” に続きます[3].

この研究では,Knight ADRCの認知機能正常な研究参加者274人に,APOE遺伝子型と,アミロイドPET・MRI,または血漿アミロイドに基づくAD研究結果を知る機会を提供しました.
参加者は65歳以上で,認知機能は保たれており,研究用のバイオマーカー情報を持っていました.

この研究の問いは,とても現実的です.

人は,本当に自分のアルツハイマー病リスクを知りたいのでしょうか.

多くの調査では,「もし分かるなら知りたい」と答える人が多いです.
しかし,実際に自分の結果を知る機会を与えられたとき,本当に知ることを選ぶのでしょうか.

結果は,非常に興味深いものでした.

274人のうち,110人,つまり40%が,結果を知ることを辞退しました.
言い換えると,60%は結果を知ることを選びましたが,かなり多くの人が「知らない」という選択をしたのです.

これは,とても大切な結果です.

「知りたい」と思うことと,実際に知ることは違います.
仮定の質問で「知りたい」と答えることと,実際に自分の将来リスクを聞くかどうかを決めることも違います.

さらに,この研究では,Blackと自己認識した参加者はWhite参加者よりも結果を辞退しやすく,調整リスク比は1.89,95%信頼区間は1.43–2.50でした.
また,親にAD dementiaの既往がある人も辞退しやすい傾向がありました.

この結果は,単純に「みんなに結果を返せばよい」という考えに注意を促します.

研究結果を知ることは,すべての人にとって同じ意味ではありません.
ある人にとっては,将来の準備に役立つ情報です.
別の人にとっては,心理的な負担です.
家族の経験がある人にとっては,過去のつらい記憶を呼び起こすものかもしれません.
医療や研究に対する信頼の歴史が違う集団では,結果を受け取ることへの意味も違うかもしれません.

質的インタビューでは,結果を辞退した理由として,「知ることが自分や家族の負担になる」,「アルツハイマー病への否定的な経験やイメージがある」,「今は記憶に問題がないと感じている」,「すでに備えている」,「予測には不確実性がある」といった内容が挙げられました.

これは,非常に人間的な結果です.

医学は,リスクを計算しようとします.
研究者は,情報を返すことが参加者の権利だと考えるかもしれません.
しかし,本人にとっては,「知る権利」と同じくらい,「知らない権利」も大切です.

Hartz先生の研究は,この「知らない権利」をとても丁寧に扱っていると思います.

アルツハイマー病リスクは,がんの遺伝性リスクとは少し違います.
一部のがんでは,高リスクと分かれば,スクリーニングや予防手術,薬物予防などの具体的な対策があります.
一方で,認知機能が正常な人に対するアルツハイマー病予防治療は,まだ限られています.

つまり,高リスクと知っても,すぐに明確な医療介入があるとは限りません.
その情報を知ることで,将来の計画を立てられる人もいます.
一方で,不安や負担だけが増える人もいるかもしれません.

だからこそ,リスク情報の返却には慎重さが必要です.

このテーマは,WeSHARE研究にもつながります.
WeSHAREは,Washington University Study of Having Alzheimer Disease Research Results Explainedの略で,認知機能が正常なKnight ADRC参加者に,AD dementiaリスクを示す研究結果を返却し,心理的・認知的影響を調べる研究です.

この研究では,参加者をすぐに結果返却を受ける群と,1年後に結果返却を受けるdelayed-start群に割り付け,リスク情報を知ることが気分,主観的認知,客観的認知機能にどのような影響を与えるかを調べます.
結果返却には,APOE,アミロイドPET,MRI,血漿アミロイドなどを統合した5年絶対リスク推定が使われます.

ここでも,Hartz先生の研究の軸は一貫しています.

リスクを計算する.
リスクを伝える資料を作る.
実際に参加者が知るかどうかを調べる.
知った後の心理的・認知的影響を調べる.
そして,研究結果返却のあり方を,倫理的かつ実証的に考える.

これは,これからのアルツハイマー病研究にとって非常に重要です.

血液バイオマーカーが広がれば,より多くの人がAD病理の検査を受けるようになるかもしれません.
抗アミロイド抗体薬が広がれば,治療候補者を見つけるために,アミロイドやタウの評価が必要になります.
発症前治療や予防試験が進めば,症状のない人にリスクを伝える場面が増えます.

そのとき,必要なのは検査技術だけではありません.

どう伝えるか.
誰に伝えるか.
どのくらいの不確実性を説明するか.
本人が知りたいかどうかをどう確認するか.
家族への影響をどう考えるか.
差別や保険,雇用への不安にどう向き合うか.
高リスクと知った人をどう支えるか.
低リスクと知った人が油断しないようにどう説明するか.

これらは,バイオマーカー時代の認知症医療で避けて通れない問いです.

Hartz先生の研究は,この問いに正面から向き合っています.

さらに,2025年のAlzheimer’s & Dementia: Translational Research & Clinical Interventions論文 “Assessing the clinical meaningfulness of slowing CDR-SB progression with disease-modifying therapies for Alzheimer’s disease” も,Hartz先生の研究のもう一つの重要な側面を示しています[4].

この研究では,疾患修飾薬によってCDR-SBの進行が遅くなることが,患者さんや家族にとってどのような意味を持つのかを検討しています.

抗アミロイド抗体薬の臨床試験では,CDR-SBの変化量が主要評価項目として使われることがあります.
たとえば,治療群とプラセボ群でCDR-SBの進行に差が出たとします.
統計的には有意でも,患者さんや家族にとって,その差が何を意味するのかは分かりにくいです.

0.45点の差.
27%の進行抑制.
こうした数字は,研究者には意味があります.
でも,患者さんや家族が知りたいのは,もっと生活に近いことかもしれません.

一人で買い物に行ける期間が延びるのか.
薬を自分で管理できる期間が延びるのか.
料理や家計管理を続けられるのか.
身の回りのことを自分でできる期間が延びるのか.
家族の介護負担がどのくらい変わるのか.

この論文では,CDR-SBの進行抑制を,IADLやBADLの自立期間に結びつけて考えようとしています.
疾患修飾薬の効果を,単なる検査スコアではなく,「自立して生活できる時間」として捉え直そうとしているのです.

これは,リスクコミュニケーションと同じくらい大切です.

医学的な数字を,生活の言葉に翻訳する.
統計的な効果を,患者さんと家族が理解できる意味に置き換える.
治療を受けるかどうかの意思決定に使える形にする.

Hartz先生の研究には,この一貫した姿勢があります.

リスクを数字として計算するだけではなく,その数字をどう伝えるかを考える.
治療効果を統計的に示すだけではなく,その効果が生活にとって何を意味するかを考える.
研究結果を返すだけではなく,知りたい人と知りたくない人の両方を尊重する.

これは,アルツハイマー病研究における「翻訳」の研究だと思います.

基礎研究から臨床へ,という意味のtranslationだけではありません.
数字から言葉へ.
バイオマーカーから本人の理解へ.
研究結果から意思決定へ.
臨床試験の効果量から生活の意味へ.

その翻訳がなければ,どれほど精密なバイオマーカーも,どれほど優れた治療薬も,患者さんや研究参加者には届きません.

もちろん,この領域には難しさがあります.

第一に,リスク推定には不確実性があります.
5年リスクを計算しても,その人が実際に発症するかどうかを完全に予測することはできません.
バイオマーカーが陽性でも発症しない人がいます.
逆に,低リスクに見えても発症する人がいます.
この不確実性を,どのように正直に伝えるかが重要です.

第二に,リスク情報の意味は人によって違います.
将来の準備に役立つ人もいれば,不安や負担になる人もいます.
家族歴,文化,医療への信頼,教育,経済状況,保険制度への不安によっても受け止め方は変わります.

第三に,治療効果の意味づけも簡単ではありません.
疾患修飾薬は,病気を治す薬ではなく,進行を遅らせる薬です.
その「遅らせる」ことが,何か月の自立につながるのか,どの機能を保つことにつながるのかを,丁寧に説明する必要があります.

それでも,この研究領域はこれからますます重要になります.

アルツハイマー病は,バイオマーカーで早く見つけられる時代になりつつあります.
そして,早期に治療を始める時代にも入りつつあります.
そうなると,医療者はこれまで以上に,症状のない人や軽症の人に,難しい情報を伝える必要があります.

「あなたは今,認知症ではありません.でも,この検査では将来のリスクが高い可能性があります」
「この薬は病気を治すわけではありませんが,進行を遅らせる可能性があります」
「副作用のリスクもあります」
「知ることを選ばないこともできます」

こうした会話は,とても難しいです.
でも,これからのアルツハイマー病診療では避けられません.

Sarah Hartz先生の研究は,その会話をどう支えるかを考える研究です.

アルツハイマー病のリスクを測ること.
そのリスクを分かりやすく伝えること.
知りたい人と知りたくない人を尊重すること.
治療効果を生活の意味に変換すること.
そして,バイオマーカー時代の認知症医療を,人に届く形にすること.

この視点は,これからの認知症研究にとってとても大切だと思います.

アルツハイマー病研究は,分子や画像や薬だけで進むものではありません.
その情報を受け取る人がいます.
結果を知るかどうかを迷う人がいます.
家族に伝えるかどうか悩む人がいます.
治療を受けるかどうかを決める人がいます.

だからこそ,リスクをどう伝えるかは,単なる説明の問題ではありません.
それは,認知症医療の中心にある問題です.

リスクを知ることは,力になるかもしれません.
でも,重荷になることもあります.

その両方を見つめながら,科学的で,倫理的で,人にやさしい伝え方を作ること.

Sarah Hartz先生の研究は,そのための研究だと思います.

参考文献

[1] Hartz SM, Mozersky J, Schindler SE, Linnenbringer E, Wang J, Gordon BA, Raji CA, Moulder KL, West T, Benzinger TLS, Cruchaga C, Hassenstab JJ, Bierut LJ, Xiong C, Morris JC. A flexible modeling approach for biomarker-based computation of absolute risk of Alzheimer’s disease dementia. Alzheimer’s & Dementia. 2023;19(4):1452-1465. doi:10.1002/alz.12781. PMID: 36178120.

[2] Mozersky J, Hartz S, Linnenbringer E, Levin L, Streitz M, Stock K, Moulder K, Morris JC. Communicating 5-Year Risk of Alzheimer’s Disease Dementia: Development and Evaluation of Materials that Incorporate Multiple Genetic and Biomarker Research Results. Journal of Alzheimer’s Disease. 2021;79(2):559-572. doi:10.3233/JAD-200993. PMID: 33337371.

[3] Goswami S, Hartz SM, Oliver A, Jackson S, Ogungbenle T, Evans A, Linnenbringer E, Moulder KL, Morris JC, Mozersky J. Research Participant Interest in Learning Results of Biomarker Tests for Alzheimer Disease. JAMA Network Open. 2025;8(5):e252919. doi:10.1001/jamanetworkopen.2025.2919. PMID: 40327345.

[4] Hartz SM, Schindler SE, Streitz ML, Moulder KL, Mozersky J, Wang G, Xiong C, Morris JC. Assessing the clinical meaningfulness of slowing CDR-SB progression with disease-modifying therapies for Alzheimer’s disease. Alzheimer’s & Dementia: Translational Research & Clinical Interventions. 2025;11(1):e70033. doi:10.1002/trc2.70033. PMID: 39949872.