アルツハイマー病というと,多くの人は「もの忘れが目立つようになってから気づく病気」という印象を持っているかもしれません.
同じことを何度も聞く.
予定を忘れる.
財布や鍵の置き場所が分からなくなる.
家族が「最近少し変だな」と感じる.
こうした変化が出てきて,初めてアルツハイマー病を疑うことが多いと思います.
でも,アルツハイマー病の研究では,かなり前から重要なことが分かってきました.
それは,症状が出たときに病気が始まるわけではない,ということです.
脳の中では,もの忘れとして見えるずっと前から,アミロイドβ,タウ,神経変性,脳萎縮,脳代謝低下などの変化が少しずつ進んでいます.
では,その変化はどの順番で起こるのでしょうか.
症状が出る何年前から始まるのでしょうか.
そして,その変化を本当に人で追跡することはできるのでしょうか.
今回紹介する論文は,その問いに15年以上かけて向き合ってきた研究です[1].
論文のタイトルは,“15 years of longitudinal genetic, clinical, cognitive, imaging, and biochemical measures in DIAN” です.
この研究で取り上げられているのは,DIAN Obs,つまりDominantly Inherited Alzheimer Network Observational Studyです.
DIAN Obsは,常染色体顕性アルツハイマー病,ADADの家系を対象にした国際的な縦断観察研究です.
ADADは,APP,PSEN1,PSEN2という遺伝子の病的変異によって起こる,まれなタイプのアルツハイマー病です.
アルツハイマー病全体から見ると1%未満とされていますが,ほぼ完全浸透に近く,比較的若い年齢で発症し,家系ごとの発症年齢がある程度予測しやすいという特徴があります.
この「発症年齢がある程度予測しやすい」という点が,研究上とても重要です.
多くの孤発性アルツハイマー病では,その人がいつ発症するかを正確に予測することは難しいです.
そのため,「症状が出る20年前に何が起きていたのか」を調べるには,非常に長い時間と大規模な集団が必要になります.
一方でADADでは,家系の情報と原因変異の情報から,発症が予想される時期を推定できます.
DIANでは,この推定発症年齢を時間軸の基準にして,症状が出る前から後まで,臨床症状,認知機能,脳画像,脳脊髄液,血液バイオマーカーを縦断的に追跡しています.
この考え方は,Estimated Years to Onset,EYOと呼ばれます.
発症が予想される時点を0年として,その20年前を−20年,10年前を−10年,発症後を+何年というように並べることで,異なる年齢の参加者を,同じ病気の時間軸上で比較できます.
これは,アルツハイマー病研究にとって非常に大きな発想です.
なぜなら,アルツハイマー病を「認知症になった後の病気」としてではなく,「発症前から進んでいく生物学的プロセス」として見ることができるからです.
DIAN Obsは2008年にNational Institute on Agingの支援で始まりました[1].
開始時は3か国10施設でしたが,現在では11か国23施設,7言語に広がっています.
論文では,DIAN Obsに664人が登録され,314人がアクティブに参加していると記載されています.
また,DIAN Obs,DIAN Trials Unit,DIAN Expanded Registryを合わせると,DIAN Obsは673人,DIAN-TUは385人,DIAN Expanded Registryは643人という規模で運営されています.
さらに,遺伝学コアでは,673人,251家系について,原因変異,APOE,GWAS genotyping array,whole-genome sequencingなどのデータが整備されています.
臨床評価,認知機能評価,MRI,FDG-PET,アミロイドPET,タウPET,脳脊髄液,血漿,血清,全血,さらに死後脳提供まで含む,非常に深く表現型づけされたコホートです.
この研究の大きな特徴は,単に「遺伝子変異を持つ人」を集めているだけではないことです.
同じ家系の中で,変異を持つ人,つまりmutation carriersと,変異を持たないnon-carriersの両方が参加しています.
このデザインにより,同じ家族背景や生活環境をある程度共有する人たちの中で,ADAD変異の有無による違いを比較できます.
これは非常に貴重です.
たとえば,年齢,教育歴,家族背景,地域差などの影響を完全に取り除くことはできませんが,同じ家系内で変異を持つ人と持たない人を追うことで,病気そのものに関係する変化をより見つけやすくなります.
DIANが示してきた最も重要な成果の一つは,アルツハイマー病のバイオマーカー変化には,ある程度の時間的順序があるということです[1,2].
2012年に発表されたDIANの代表的研究では,ADADにおいて,臨床症状が出る20年以上前から脳脊髄液Aβ42が低下し,15年前ごろからアミロイドPETの異常が見え,その後,脳脊髄液タウ,脳萎縮,脳代謝低下,認知機能低下が続くという時間軸が示されました[2].
今回の15年総括論文でも,この時間軸が改めて整理されています[1].
アミロイドPETの蓄積やCSF Aβ42の低下は,推定発症年齢の約20年前から観察されます.
その後,CSF total tauやリン酸化タウの上昇,皮質菲薄化,FDG-PETでの代謝低下が,発症の約10〜15年前から現れます.
認知機能低下は,発症の5〜10年前ごろから見えてきます.
つまり,アルツハイマー病は,ある日突然始まる病気ではありません.
まず,アミロイドの変化が起こる.
次に,タウや神経障害の変化が出てくる.
その後,脳の構造や代謝が変わる.
そして最後に,認知機能の低下として見えてくる.
もちろん,これは単純化した説明です.
実際の病態はもっと複雑ですし,個人差もあります.
しかし,この「発症前から発症後までの時間軸」を人のデータで示したことが,DIANの大きな意義です[1,2].
ここに,John C. Morris先生の研究の特色がよく表れています.
Morris先生の研究は,認知症を「症状が出てから診断する病気」としてだけ見るのではなく,症状が出る前の段階から,臨床,認知機能,画像,病理,バイオマーカーを結びつけて理解しようとしてきました.
特に,早期アルツハイマー病の診断,臨床病理相関,遺伝性アルツハイマー病の表現型,バイオマーカーと神経画像によるプレクリニカルADの同定は,Morris先生の研究の中心的なテーマです.
その意味で,DIAN Obsは,Morris先生の研究内容を最もよく示す研究の一つだと思います.
もう一つ,Morris先生を語るうえで欠かせないのが,Clinical Dementia Rating,CDRです[3].
CDRは,認知症の重症度を,記憶,見当識,判断・問題解決,社会活動,家庭・趣味,身の回りの世話という複数領域から評価する臨床尺度です.
CDR 0は認知症なし,0.5はごく軽度または疑い,1は軽度,2は中等度,3は重度というように,認知症の臨床段階を評価します.
これは,単なる検査点数ではありません.
患者本人と情報提供者への面接を通じて,日常生活の中で認知機能低下がどの程度影響しているかを評価するものです.
アルツハイマー病研究では,バイオマーカーがどれほど進歩しても,「その人に症状があるのか」,「日常生活に影響しているのか」,「どの段階なのか」を臨床的に定義する必要があります.
CDRは,その臨床的な軸を与えてきました.
DIANのような縦断研究でも,臨床症状とバイオマーカーを結びつけるためには,信頼できる臨床評価が不可欠です.
アミロイドが陽性であることと,認知症であることは同じではありません.
タウが上昇していることと,生活機能が障害されていることも同じではありません.
だからこそ,バイオマーカーだけでなく,臨床評価を同時に追うことが重要です.
DIAN Obsは,まさにその両方を持っています.
遺伝子変異が分かっている.
推定発症年齢がある.
臨床評価がある.
認知機能評価がある.
MRI,PET,CSF,血液がある.
そして,それらを同じ人で長期的に追跡している.
これは,アルツハイマー病の自然史を理解するうえで非常に強力です.
今回の論文で重要なのは,DIAN Obsが単なる研究コホートではなく,国際的な研究基盤になっている点です[1].
DIAN Obsは,これまで300件以上のデータ・組織リクエストに対応してきたとされています.
つまり,DIANで集められた臨床データ,画像データ,バイオマーカー,試料は,世界中の研究者に利用され,ADADだけでなく,より広いアルツハイマー病研究に役立っています.
また,DIAN ObsはDIAN-TU,つまりDominantly Inherited Alzheimer Network Trials Unitとも連携しています.
DIAN-TUは,ADADの発症予防や治療を目指す臨床試験プラットフォームです.
DIAN Obsで得られた自然歴データがあるからこそ,どの時期に介入すべきか,どのバイオマーカーをエンドポイントにするべきか,どのような人を対象にするべきかを考えることができます.
これは,予防試験にとって非常に重要です.
アルツハイマー病の疾患修飾治療では,タイミングが大きな問題になります.
症状が進んでからアミロイドを取り除いても,すでに神経細胞の障害が進んでいるかもしれません.
一方で,症状が出る前に介入するには,その人が本当にアルツハイマー病の病態を進行させているのか,どの段階にいるのかを正確に見極める必要があります.
DIANは,そのための時間軸を与えてくれます.
発症20年前には何が起きているのか.
15年前には何を測ればよいのか.
10年前にはどのバイオマーカーが変わるのか.
5年前には認知機能に何が起きるのか.
発症後にはどのように進行するのか.
このような問いに答えるためには,長期縦断データが必要です.
DIAN Obsは,そのデータを15年以上かけて積み上げてきました.
もちろん,この研究には限界もあります.
第一に,ADADはアルツハイマー病全体の1%未満のまれな病気です[1].
そのため,DIANで分かったことを,そのまますべての孤発性アルツハイマー病に当てはめることはできません.
第二に,ADADは若年発症が多く,原因遺伝子が明確です.
一方で,多くの高齢発症アルツハイマー病は,年齢,APOE,血管リスク,生活習慣,炎症,環境要因などが複雑に関わります.
そのため,両者の病態が完全に同じとは言えません.
それでも,ADADと孤発性アルツハイマー病には,アミロイドとタウを中心とした共通する病理プロセスがあります[1,2].
だからこそ,ADADはアルツハイマー病全体の病態を理解するための重要なモデルになります[1].
第三に,遺伝子変異を持つ可能性がある家族を対象にする研究では,倫理的配慮が非常に重要です.
参加者は,自分や家族の将来の発症リスクに関わる情報と向き合う可能性があります.
研究参加,遺伝カウンセリング,結果開示,心理的支援,家族への影響など,多くの課題があります.
DIANのような研究では,科学的価値だけでなく,参加者と家族への配慮が欠かせません.
それでも,DIAN Obsの価値は非常に大きいと思います.
なぜなら,この研究は,アルツハイマー病を「認知症になってから見る病気」から,「発症前から生物学的に進行する病気」として捉える視点を与えてくれたからです.
これは,現在のアルツハイマー病研究に直結しています.
血液バイオマーカーが登場し,p-tau217やp-tau181,Aβ42/40,NfLなどでアルツハイマー病の病態をより簡便に評価できる時代になりつつあります[4].
抗アミロイド抗体薬が登場し,症状が軽い段階での治療が現実的になってきました.
今後は,症状が出る前の段階で,どのようにリスクを評価し,どのように介入するかが大きな課題になります.
そのときに必要なのは,病気の時間軸です.
どのバイオマーカーが最初に変わるのか.
どの段階でタウが上がるのか.
どの段階で神経変性が始まるのか.
どの段階で認知機能が変わるのか.
どの時点で治療すれば,最も意味があるのか.
DIANは,この問いに答えるための土台になっています[1,2].
この研究を読むと,John C. Morris先生の研究の一貫性がよく分かります.
認知症を臨床的に正確に評価すること.
ごく軽い段階を見逃さないこと.
バイオマーカーと臨床症状を結びつけること.
発症前のアルツハイマー病を,時間の流れとして捉えること.
そして,その知識を予防や治療につなげること.
DIAN Obsは,そのすべてを含んだ研究です.
アルツハイマー病は,症状が出た瞬間に始まる病気ではありません.
症状が見える前から,脳の中では長い時間をかけて変化が進んでいます.
その変化を見つけるためには,臨床評価だけでも,画像だけでも,血液だけでも不十分です.
遺伝子,認知機能,臨床評価,MRI,PET,脳脊髄液,血液,そして長期的な追跡が必要です.
DIANは,それを実際に行ってきた研究です.
そして,この論文は,その15年をまとめたものです[1].
認知症を「発症した後の病気」としてではなく,
「発症前から続く生物学的な過程」として見る.
その視点は,これからの診断,治療,予防,臨床試験にとって,ますます重要になると思います.
John C. Morris先生の研究を一つの言葉で表すなら,それは「早く,正確に,長く見る」ことかもしれません.
早く見る.
症状が出る前から見る.
正確に見る.
臨床評価とバイオマーカーを組み合わせて見る.
長く見る.
同じ人を何年も追い続け,病気の流れを理解する.
DIAN Obsは,まさにその研究です.
アルツハイマー病の未来を考えるうえで,この15年の積み重ねは,とても大きな意味を持つと思います.
参考文献
[1] Daniels AJ, McDade E, Llibre-Guerra JJ, Xiong C, Perrin RJ, Ibanez L, et al. 15 years of longitudinal genetic, clinical, cognitive, imaging, and biochemical measures in DIAN. npj Dementia. 2026;2:13. doi:10.1038/s44400-025-00047-7. PMID: 41709913; PMCID: PMC12909123.
[2] Bateman RJ, Xiong C, Benzinger TLS, Fagan AM, Goate A, Fox NC, et al. Clinical and biomarker changes in dominantly inherited Alzheimer’s disease. N Engl J Med. 2012;367(9):795-804. doi:10.1056/NEJMoa1202753. PMID: 22784036.
[3] Morris JC. The Clinical Dementia Rating (CDR): current version and scoring rules. Neurology. 1993;43(11):2412-2414. doi:10.1212/WNL.43.11.2412-a. PMID: 8232972.
[4] Blennow K, Zetterberg H. Biomarkers for Alzheimer’s disease: current status and prospects for the future. Journal of Internal Medicine. 2018;284(6):643-663. doi:10.1111/joim.12816. PMID: 30051512.