アルツハイマー病の治療は,いま大きく変わりつつあります.
長い間,アルツハイマー病の治療は,症状を少し和らげることが中心でした.
記憶や生活機能の低下を完全に止めることは難しく,病気そのものの進行に介入する治療は限られていました.
しかし近年,アミロイドβを標的とする抗体薬が登場し,アルツハイマー病診療は新しい段階に入りました.
その代表の一つが,レカネマブです.
レカネマブは,早期アルツハイマー病を対象とした第3相試験で,臨床的な進行を有意に遅らせることが示されました[1].
CLARITY AD試験では,18か月時点でのCDR-SB変化量は,レカネマブ群で1.21,プラセボ群で1.66でした.
差は−0.45で,これは27%の進行抑制に相当します.
この結果は,アルツハイマー病治療にとって非常に大きな意味を持ちました.
病気の進行を遅らせる可能性が,臨床試験で示されたからです.
でも,ここで重要な問いが生まれます.
臨床試験で使えた薬を,実際の診療でも安全に使えるのでしょうか.
臨床試験では,参加者が厳密に選ばれます.
検査スケジュールも決まっています.
MRIのタイミングも決まっています.
副作用の評価も,研究体制の中で行われます.
専門スタッフがいて,プロトコルがあり,参加者も研究に同意して治療を受けます.
一方で,実臨床はもっと複雑です.
患者さんの年齢や併存疾患はさまざまです.
抗凝固薬を使っている人もいます.
MRIで微小出血が見つかる人もいます.
通院の負担があります.
家族の支援体制にも差があります.
治療への期待も,不安も,人によって違います.
そのため,レカネマブのような新しい治療を本当に患者さんに届けるには,臨床試験の結果だけでは不十分です.
実際の専門外来で,誰が治療を受け,どのような副作用が起こり,どのくらい治療を続けられるのかを調べる必要があります.
この問いに正面から取り組んだのが,Madeline Paczynskiさんが第一著者として発表した2025年のJAMA Neurology論文,“Lecanemab Treatment in a Specialty Memory Clinic” です[2].
この研究は,実際にレカネマブ治療を開始した患者さんを対象にした後方視的研究です.
対象期間は,2023年8月1日から2024年10月1日まででした.
この期間に,早期症候性アルツハイマー病の患者234人がレカネマブ治療を開始しました.
対象者の平均年齢は74.4歳,標準偏差は6.7歳でした.
女性は117人,男性も117人で,男女はちょうど50%ずつでした.
治療は,10 mg/kgのレカネマブを2週間ごとに点滴静注する方法で行われました.
この論文の重要性は,単に「レカネマブを使いました」という報告ではありません.
これは,抗アミロイド抗体薬を実臨床に導入するときに,どのような問題が起きるのかを具体的に示した研究です.
特に注目すべきなのは,infusion-related reactionsとARIAです.
Infusion-related reactions,つまり点滴関連反応は,87人に認められました.
全体の37%です.
ただし,多くは軽度でした.
これは実臨床では重要な情報です.
点滴関連反応が37%と聞くと,多いと感じるかもしれません.
でも,その多くが軽度で管理可能であるなら,外来で治療を続ける体制を作ることは可能です.
一方で,点滴関連反応が珍しくないということは,スタッフが事前に説明し,対応手順を整えておく必要があるということでもあります.
もう一つ重要なのが,ARIAです.
ARIAは,amyloid-related imaging abnormalitiesの略です.
抗アミロイド抗体薬で問題になる画像上の副作用で,浮腫や滲出を示すARIA-Eと,微小出血やヘモジデリン沈着を示すARIA-Hがあります.
レカネマブ治療では,ARIAをどのように監視し,どのように対応するかが非常に重要です.
症状がないARIAもありますが,頭痛,混乱,めまい,視覚症状,けいれんなどを伴うこともあります.
まれに重篤になる可能性もあります.
この研究では,少なくとも4回のレカネマブ点滴を受け,少なくとも1回のモニタリングMRIを受けた194人がARIAリスク評価の対象となりました.
そのうち42人,22%がARIAを発症しました.
内訳として,ARIA-Eを伴うものは29人,15%,孤立性ARIA-Hは13人,6.7%でした.
症候性ARIAは11人,5.7%に認められました.
そのうち,臨床的に重症とされた症例は2人,1.0%でした.
一方で,macrohemorrhage,つまり大きな脳出血を起こした人や,死亡した人はいませんでした.
この数字は,レカネマブを実臨床で使ううえで非常に大切です.
ARIAは決して無視できる副作用ではありません.
しかし,専門外来で適切に選択し,MRIでモニタリングし,症状を確認しながら治療すれば,多くの場合は管理可能であることが示されています.
ただし,すべての人でリスクが同じだったわけではありません.
この研究で特に印象的なのは,病期による違いです.
軽度認知症の患者さんでは,症候性ARIAの割合が27%でした.
一方で,MCIまたはvery mild dementiaの患者さんでは,症候性ARIAは1.8%でした.
これはとても重要な結果です.
レカネマブは早期アルツハイマー病に対する治療です.
しかし,「早期」の中にも幅があります.
MCIや非常に軽度の認知症の段階と,軽度認知症の段階では,安全性のリスクが異なる可能性があります.
この結果は,治療を考えるときに,できるだけ早い段階で正確に診断することの重要性を示しているように思います.
同時に,治療の利益とリスクを,病期ごとに丁寧に説明する必要があることも示しています.
治療中止についても重要な情報があります.
234人のうち23人,9.8%がさまざまな理由で治療を中止しました.
ARIAを理由に中止した人は10人,4.3%でした.
これも,実臨床では非常に現実的な数字です.
臨床試験ではなく,日常診療として2週間ごとの点滴を続けることは簡単ではありません.
患者さん本人だけでなく,家族の付き添い,通院手段,仕事や介護の都合,費用,MRI,副作用への不安などが関わります.
治療を始めることと,治療を続けることは違います.
この研究は,治療開始後の継続性も含めて,レカネマブ実装の現実を示しています.
ここに,Paczynskiさんの研究の特色がよく出ていると思います.
Paczynskiさんは,レカネマブを理論として語っているのではありません.
実際の専門外来で,どのように治療を導入し,どのように安全性を確認し,どのような副作用が起き,どのように治療継続が判断されるのかを見ています.
つまり,アルツハイマー病治療を「研究の結果」から「医療の現場」へ移す研究です.
この視点は,これからますます重要になります.
抗アミロイド抗体薬は,薬そのものだけで完結する治療ではありません.
治療前に,臨床診断を確認する必要があります.
アミロイド陽性を確認する必要があります.
MRIで微小出血や白質病変などのリスクを確認する必要があります.
APOE ε4の有無をどう扱うかも考える必要があります.
治療中は,定期的なMRIでARIAを監視する必要があります.
症状が出たときには,治療を一時中断するか,継続するかを判断する必要があります.
これは,一人の医師だけではできません.
医師,PA,ナース,放射線科,薬剤部,検査部門,事務スタッフ,患者さん,家族が連携する必要があります.
抗アミロイド抗体薬は,診断から治療,安全性管理までを含む「システム」として実装しなければならない治療です.
その意味で,この研究は,薬の研究であると同時に,医療体制の研究でもあります.
さらに,Paczynskiさんの最近の仕事として重要なのが,血液バイオマーカーの臨床導入です.
2025年には,Alzheimer’s Associationによる血液バイオマーカーの臨床実践ガイドラインが発表されました[3].
このガイドラインは,専門医療機関において,認知機能症状を持つ人の診断評価に血液バイオマーカーをどう使うかを扱っています.
Paczynskiさんも著者の一人として参加しています.
血液バイオマーカーは,アルツハイマー病診療を大きく変える可能性があります.
これまで,アミロイド病理を確認するには,アミロイドPETや脳脊髄液検査が必要でした.
しかし,PETは高価で実施施設が限られ,脳脊髄液検査は腰椎穿刺が必要です.
一方で,血液検査でAD病理を高い精度で評価できるようになれば,診断の入り口は大きく変わります.
特に,抗アミロイド抗体薬の適応を考えるとき,アミロイド病理の確認は必須です.
血液バイオマーカーは,そのプロセスを効率化する可能性があります.
ただし,血液バイオマーカーも,単に測ればよいわけではありません.
どの検査を使うのか.
どのカットオフを使うのか.
陽性・陰性・中間値をどう扱うのか.
PETやCSFで確認すべき場合はいつか.
プライマリケアで使うのか,専門外来で使うのか.
併存疾患や腎機能の影響をどう考えるのか.
結果を患者さんにどう説明するのか.
こうした問いがあります.
ガイドラインでは,血液バイオマーカーは,専門医療機関における包括的な診断プロセスの一部として使うべきであり,単独で診断を決めるものではないという考え方が示されています[3].
これは,Paczynskiさんの仕事とよくつながります.
抗アミロイド抗体薬を実臨床で使うためには,正確な診断が必要です.
そのためには,アミロイドやタウの病理を確認する必要があります.
血液バイオマーカーは,その診断プロセスを現実的にする可能性があります.
しかし,その結果をどう解釈し,どう治療につなげるかには,専門的な臨床判断が必要です.
PaczynskiさんらのWashU Memory Diagnostic Centerでは,血液バイオマーカーを実際の診療で用いる取り組みも報告されています[4].
この報告では,認知機能の問題で受診した143人にPrecivityAD2血液検査が行われました.
平均年齢は74.5歳,女性は48%,Whiteが94%でした.
PrecivityAD2では,p-tau217のリン酸化比とAβ42/Aβ40を組み合わせたAPS2というスコアが用いられます.
この143人のうち,76%がPrecivityAD2陽性でした.
また,34人がレカネマブ治療を受けており,治療群のAPS2中央値は97でした.
さらに,21人ではCSFまたはPETによる追加確認が行われました.
その結果,PrecivityAD2陽性だった15人は,全員がCSFまたはPETでも陽性でした.
CSFまたはPETを参照基準とした場合,陽性的中率は100%,陰性的中率は83%でした.
もちろん,この研究は小規模です.
そのため,この結果だけで血液検査の臨床的位置づけが決まるわけではありません.
しかし,専門外来で抗アミロイド治療を考える患者さんに対して,血液バイオマーカーが実際に診断プロセスを支える可能性を示しています.
ここでも,重要なのは「実装」です.
血液バイオマーカーは,研究室の中では高性能に見えるかもしれません.
でも,実際の診療で使うときには,検査を受ける患者さんの背景,検査前確率,臨床症状,画像所見,併存疾患,治療適格性を総合して考える必要があります.
陽性だからすぐ治療,というわけではありません.
陰性だから絶対にADではない,というわけでもありません.
中間値や矛盾する結果が出ることもあります.
そのような場面で,どう判断するかが臨床の核心です.
Paczynskiさんの仕事は,このような新しい診断・治療技術を,現場で使える形にしていくところにあります.
アルツハイマー病研究では,しばしば大規模な臨床試験やバイオマーカー開発が注目されます.
もちろん,それは重要です.
しかし,患者さんにとって本当に大切なのは,その技術が自分の診療にどう届くかです.
レカネマブが承認された.
血液バイオマーカーが高精度になった.
でも,自分はその治療を受けられるのか.
検査はどこで受けられるのか.
安全性はどうなのか.
副作用が出たらどうなるのか.
家族は何を知っておくべきなのか.
こうした問いに答えるには,臨床試験データだけでなく,実臨床データが必要です.
そして,その実臨床データを丁寧に集め,解析し,患者さんや医療者に返していく必要があります.
2025年のJAMA Neurology論文は,その意味でとても重要です[2].
抗アミロイド抗体薬が実際の専門外来でどのように使われ,どの程度のARIAや点滴反応が起き,どの程度治療が続けられるのかを示したからです.
この論文の結果は,患者さんとの説明にも使えます.
「点滴反応は比較的よく起こりますが,多くは軽度でした」
「ARIAは約22%に見られました」
「症候性ARIAは5.7%でした」
「重症の症候性ARIAは1.0%でした」
「大きな出血や死亡はありませんでした」
「MCIまたは非常に軽度認知症の段階では,症候性ARIAは1.8%でしたが,軽度認知症では27%でした」
こうした具体的な数字は,治療を受けるかどうかを考えるうえで重要です.
薬の効果だけでなく,リスクをどう受け止めるかは,患者さんと家族にとって大きな問題だからです.
もちろん,この研究にも限界があります.
単一の専門施設での後方視的研究です.
WashU Memory Diagnostic Centerのような専門性の高い施設での結果が,すべての医療機関にそのまま当てはまるわけではありません.
患者さんの背景も,地域や施設によって異なります.
また,平均治療期間は6.5か月であり,長期的な安全性や有効性についてはさらに追跡が必要です.
それでも,この研究は,実臨床でのレカネマブ導入に関する非常に貴重なデータです.
特に重要なのは,抗アミロイド治療を「できるか,できないか」ではなく,「どのような体制なら安全にできるか」と考えている点です.
患者選択.
アミロイド確認.
MRIモニタリング.
ARIA対応.
点滴反応への準備.
治療継続の判断.
家族への説明.
血液バイオマーカーの活用.
専門外来のワークフロー.
これらがそろって初めて,薬は実臨床で使えるようになります.
Madeline Paczynskiさんの研究と臨床活動は,この「実装」の部分にあります.
アルツハイマー病治療は,薬が承認されただけでは完成しません.
むしろ,承認されたあとに本当の課題が始まります.
誰に届けるのか.
どう届けるのか.
どう安全性を守るのか.
どう検査するのか.
どう説明するのか.
どう続けるのか.
この一つ一つを現場で形にしていくことが,これからのアルツハイマー病診療には欠かせません.
レカネマブやドナネマブのような抗アミロイド抗体薬は,アルツハイマー病治療に新しい可能性を開きました.
しかし,その可能性を患者さんに届けるには,専門外来の体制,診断フロー,安全性管理,スタッフ教育,患者・家族とのコミュニケーションが必要です.
つまり,アルツハイマー病の新しい治療は,薬だけでは成り立ちません.
薬を安全に届ける仕組みが必要です.
Paczynskiさんの研究は,その仕組みを具体的なデータで示していると思います.
これまでのアルツハイマー病研究は,病気の仕組みを理解し,薬を開発することに大きな力を注いできました.
これからは,それに加えて,新しい診断と治療をどう現場に実装するかが重要になります.
血液バイオマーカーで適切に診断する.
アミロイド病理を確認する.
抗アミロイド治療の適格性を判断する.
ARIAを監視する.
患者さんと家族に,効果とリスクを具体的に説明する.
治療を継続できる体制を整える.
このような実装研究は,目立ちにくいかもしれません.
でも,実際に患者さんに治療を届けるためには不可欠です.
アルツハイマー病治療の時代は,臨床試験から実臨床へ移り始めています.
その移行期に必要なのは,理想論ではなく,現場のデータです.
Madeline Paczynskiさんの仕事は,その現場のデータを示してくれています.
薬があることと,薬を届けられることは違います.
検査があることと,検査を正しく使えることも違います.
治療が可能になることと,安全に継続できることも違います.
その間をつなぐ研究が,これからますます重要になると思います.
アルツハイマー病治療を,研究から診療へ.
臨床試験から専門外来へ.
バイオマーカーから治療判断へ.
薬の効果から患者さんと家族への説明へ.
Paczynskiさんの研究は,その橋渡しをしている研究だと思います.
参考文献
[1] van Dyck CH, Swanson CJ, Aisen P, Bateman RJ, Chen C, Gee M, et al. Lecanemab in Early Alzheimer’s Disease. New England Journal of Medicine. 2023;388(1):9-21. doi:10.1056/NEJMoa2212948. PMID: 35617937.
[2] Paczynski M, Hofmann A, Posey Z, Gregersen M, Rudman M, Ellington D, Aldinger M, Musiek ES, Holtzman DM, Bateman RJ, Long JM, Ghoshal N, Carr DB, Dow A, Namazie-Kummer S, Jana N, Xiong C, Morris JC, Benzinger TLS, Schindler SE, Snider BJ. Lecanemab Treatment in a Specialty Memory Clinic. JAMA Neurology. 2025;82(7):655-665. doi:10.1001/jamaneurol.2025.1232. PMID: 40354064; PMCID: PMC12070285.
[3] Palmqvist S, Whitson HE, Allen LA, Suarez-Calvet M, Galasko D, Karikari TK, Okrahvi H, Paczynski M, Schindler SE, Teunissen CE, Zetterberg H, Carrillo MC, Edelmayer RM, Mahinrad S, McAteer MB, Kahale LA, Pahlke S, Tampi MP. Alzheimer’s Association Clinical Practice Guideline on the use of blood-based biomarkers in the diagnostic workup of suspected Alzheimer’s disease within specialized care settings. Alzheimer’s & Dementia. 2025;21(7):e70535. doi:10.1002/alz.70535. PMID: 40729527; PMCID: PMC12306682.
[4] Schindler SE, Snider BJ, Paczynski M, et al. Biomarkers. Alzheimer’s & Dementia. 2025. doi:10.1002/alz70856_097511. PMID: 41442134.