SPRING試験と P. gingivalis 仮説について

アルツハイマー病の治療というと,近年はアミロイドβを標的とした抗体薬が注目されています.一方で,少し異なる角度からアルツハイマー病に迫る研究も進んでいます.

その一つが,歯周病菌とアルツハイマー病の関係です.

今回, BrightFocus Foundation の動画では,Lighthouse Pharma の Michael J. Detke 先生が,P. gingivalis という歯周病関連細菌を標的とした SPRING試験について解説していました[1].動画では,治験薬 LHP588 が紹介されています[1].

P. gingivalis とは何か

P. gingivalis は,正式には Porphyromonas gingivalis と呼ばれる細菌です.

歯周病,特に歯肉炎や歯周炎に関係する細菌として知られており,歯周病の領域では重要な菌の一つと考えられています[1,2].動画では,この菌が単に口の中だけにとどまるのではなく,唾液とともに消化管へ入ったり,白血球内に入り込んで全身へ広がったりする可能性が説明されていました[1].

ここで重要なのは,この話が「歯周病があると必ずアルツハイマー病になる」という単純な話ではないことです.

むしろ,現在の研究の焦点は,一部の人では,慢性的な口腔内細菌感染やそれに伴う炎症が,脳の変性過程に影響しているかもしれないという仮説にあります[2,3].

gingipain という“細菌由来のハサミ”

P. gingivalis が注目される理由の一つに,gingipain という酵素があります.

gingipain は,P. gingivalis が産生するプロテアーゼ,つまりタンパク質を切断する酵素です.動画では,これを「細胞の中で分子を切ってしまう小さなハサミ」のように説明していました[1].

2019年に Science Advances に掲載された Dominy らの研究では,アルツハイマー病患者の脳で P. gingivalis や gingipain が検出され,さらにマウス実験では gingipain 阻害が神経炎症や神経細胞障害を抑える可能性が示されました[3].これは,P. gingivalis とアルツハイマー病を結びつける研究として大きく注目されました.

もちろん,この研究だけで「P. gingivalis がアルツハイマー病の原因である」と断定することはできません.しかし,歯周病菌,炎症,神経変性という三者の関係を考えるうえで,非常に興味深いデータです[2,3].

歯周病と認知機能低下の関係

臨床研究でも,歯周病と認知機能低下の関連は報告されています.

たとえば Ide らの研究では,アルツハイマー病患者を対象に,歯周病の有無とその後の認知機能低下を検討しています.その結果,ベースラインで歯周病があった患者では,6か月後の認知機能低下が大きかったことが報告されました.また,歯周病は炎症状態の増加とも関連していました[4].

このような研究から見えてくるのは,歯周病が単なる「口の中の問題」ではなく,全身の炎症や脳の健康とも関係し得るという視点です.

ただし,ここでも注意が必要です.
歯周病と認知機能低下に関連があるとしても,それが直接の因果関係を意味するとは限りません.口腔ケアが難しくなるほど認知機能が低下している,という逆方向の関係も考えられますし,年齢,生活習慣,糖尿病,喫煙,教育歴などの交絡因子も関係します.

そのため,現時点では「歯周病はアルツハイマー病の原因である」と言い切るよりも,歯周病や口腔内細菌が,アルツハイマー病の発症・進行に関わる可能性が研究されていると表現するのが適切だと思います[2,4].

SPRING試験とは

今回の動画の中心は,SPRING試験です.

SPRING試験は,P. gingivalis 陽性の軽度から中等度アルツハイマー病患者を対象に,LHP588 という経口薬を評価する臨床試験です[1,5].LHP588 は gingipain を阻害する薬剤として開発されており,P. gingivalis に関連する脳内障害を抑えることが期待されています[1,5].

動画で説明されていた試験デザインでは,参加者は以下の3群にランダムに割り付けられます[1].

・プラセボ群
・LHP588 25 mg 1日1回群
・LHP588 50 mg 1日1回群

つまり,参加者は3分の2の確率で実薬を受ける設計です.対象は55〜80歳,MMSE 12〜24点の軽度から中等度アルツハイマー病で,P. gingivalis 陽性であることが条件とされています[1,5].

興味深い点は,この試験が最初から P. gingivalis 陽性者に対象を絞っていることです.これは,過去の GAIN試験の結果を踏まえた設計と考えられます[1,6].

GAIN試験は,第一世代の gingipain 阻害薬 atuzaginstat,別名 COR388 を用いた第2/3相試験でした.この試験は軽度から中等度アルツハイマー病患者を対象に実施されました[6].

全体集団では十分な有効性が明確に示されたとは言いにくい一方で,P. gingivalis 陽性の集団では効果が示唆されたとされ,それが次の SPRING試験につながっています[1,6].ただし,この部分は企業発表や学会発表を含む情報であり,査読済み論文としてどこまで確立しているかは慎重に見る必要があります.

抗アミロイド抗体薬とは違うアプローチ

現在,アルツハイマー病の疾患修飾薬としては,レカネマブやドナネマブのような抗アミロイド抗体薬が注目されています.これらはアミロイドβを標的とする治療です.

一方,LHP588 はアミロイドβそのものを直接除去する薬ではありません.
標的は,P. gingivalis が産生する gingipain です[1,5].

つまり,考え方としては,
「アルツハイマー病の一部には,慢性的な細菌感染や細菌由来の毒性因子が関与しているかもしれない.そこを抑えることで病気の進行を遅らせられないか」
というアプローチです[2,3,6].

この点で,SPRING試験は非常にユニークです.

また,動画では,LHP588 が経口薬であること,抗アミロイド抗体薬で問題となる ARIA,つまり amyloid-related imaging abnormalities のリスクは現時点では想定されていないことも説明されていました[1].一方で,過去の薬剤では肝機能に関する安全性シグナルがあったため,SPRING試験では肝機能を慎重にモニタリングするとのことでした[1].

では,私たちは何をすればよいのか

この研究を知ると,「では歯周病を治せばアルツハイマー病を防げるのか」と考えたくなります.

しかし,そこはまだ慎重に考える必要があります.

現時点では,歯周病治療や口腔ケアがアルツハイマー病を確実に予防する,あるいは進行を止める,とまでは言えません.

ただ,口腔ケアが全身の健康にとって重要であることは間違いありません.歯周病は,炎症や全身状態とも関係し得るため,高齢者医療や認知症診療において,口腔の健康を軽視しないことは非常に大切です[2,4].

特に認知症のある方では,病気の進行とともに歯磨きや義歯管理が難しくなることがあります.その結果,口腔内環境が悪化し,食事量の低下,誤嚥性肺炎,低栄養,活動性低下につながることもあります.

その意味で,この研究は「歯周病菌がアルツハイマー病を引き起こすか」という話にとどまりません.
認知症診療において,口腔ケアをもっと正面から考える必要があるというメッセージとしても受け取ることができます.

まとめ

SPRING試験は,P. gingivalis という歯周病関連細菌を標的にした,新しいアルツハイマー病治療の可能性を検証する臨床試験です[1,5].

このアプローチは,従来のアミロイドβやタウを中心とした考え方とは少し異なります.慢性感染,炎症,細菌由来毒性因子という視点から,アルツハイマー病の一部を説明しようとするものです[2,3,6].

もちろん,現時点ではまだ治験段階です.
LHP588 が本当に認知機能低下を遅らせるのか,安全性は十分か,どのような患者さんに最も有効なのかは,今後の臨床試験結果を待つ必要があります.

ただ,この研究はとても重要な問いを投げかけています.

アルツハイマー病は,脳だけの病気なのか.
それとも,口腔,免疫,感染,炎症,全身状態が複雑に関わる病気なのか.

もし後者の側面があるなら,認知症診療は神経内科や精神科だけで完結するものではなく,歯科,栄養,リハビリ,介護,生活支援を含めた総合的なアプローチがますます重要になります.

SPRING試験の結果はまだ先になりますが,この研究は,アルツハイマー病をより広い視点から考えるきっかけになると思います.

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参考文献・参考資料

1.BrightFocus Foundation. The SPRING Trial: Targeting Gum Bacteria in Alzheimer’s. 2026年4月2日公開.

2.Ryder MI. Porphyromonas gingivalis and Alzheimer disease: Recent findings and potential therapies. Journal of Periodontology. 2020;91 Suppl 1:S45-S49. PMID: 32533852.

3.Dominy SS, Lynch C, Ermini F, et al. Porphyromonas gingivalis in Alzheimer’s disease brains: Evidence for disease causation and treatment with small-molecule inhibitors. Science Advances. 2019;5(1):eaau3333. PMID: 30746447.

4.Ide M, Harris M, Stevens A, et al. Periodontitis and Cognitive Decline in Alzheimer’s Disease. PLoS One. 2016;11(3):e0151081. PMID: 26963387.

5.ClinicalTrials.gov. Study of LHP588 in Subjects With P. gingivalis-Positive Alzheimer’s Disease. NCT06847321.

6.Sabbagh MN, Decourt B. COR388(atuzaginstat): an investigational gingipain inhibitor for the treatment of Alzheimer disease. Expert Opinion on Investigational Drugs. 2022;31(10):987-993. PMID: 36003033.